61作目となる2022年大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」。
脚本は、三谷幸喜さん。
主役の北条義時を務めるのは、小栗旬さんです。
毎週日曜(総合)午後8時、(BSプレミアム、BS4K)午後6時、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。
前回のあらすじ
木曽義仲討伐後の鎌倉の懸案事項は、2つ。
甲斐の武田信義(八嶋智人さん)の処遇と義仲の嫡男・義高(市川染五郎さん)のことです。
甲斐の武田にはいずれ消えてもらうと不穏な言葉をいう源頼朝(大泉洋さん)。
もう1つ、義高については北条義時(小栗旬さん)を試すかのように「義高を討て」と頼朝は命じたのです。
義高を幽閉した義時に、姉である政子(小池栄子さん)が憤懣をぶつけてきます。
娘・大姫(落井美結子さん)が慕う義高を救おうと、頼朝に必死に訴えるのですが、頼朝は聞き入れません。
義高の恨みは必ず万寿に降りかかる、と政子の訴えを退けたのです。
それでも義高を救おうと、政子は義高を伊豆山権現に預け避難させる計画を立てました。
その頃、京の源義経(菅田将暉さん)は、後白河法皇(西田敏行さん)から検非違使に任命され、喜々としていました。
頼朝が義経の任官願いを出していないにも関わらず行われたことですが、義経は法皇から高く評価されていることに大満足でした。
鎌倉で、和田義盛(横田栄司さん)に捕らえられた義仲の愛妾・巴御前(秋元才加さん)と義時は面会していました。
巴は義仲に託された手紙を義高に渡して欲しいと義時に訴えます。
義時は巴と義高を対面させることにしました。
一時は頼朝への憎しみを消せず、伊豆山権現への逃亡を拒否した義高ですが、巴から渡された義仲の手紙を読んで、頼朝への復讐の心を消して、生き延びる選択をしたのです。
その頃、鎌倉御所には、甲斐の武田信義と嫡男・一条忠頼(前原滉さん)が来ていました。
信義は、義仲討伐での恩賞がないのは頼朝が裏で手を回しているからと不満を持ち、御所に幽閉されている義高を巻き込み、頼朝への反逆を考え始めました。
しかし、その武田の動きは鎌倉に知られており、義高に接触できないよう、強力な見張りを立てることにしました。
政子たちの計画では、義高の見張りはどうとでも抱き込める工藤祐経(坪倉由幸さん)のはずでした。
しかし、武田の動きにより見張りは変更。
仕方なく、頼朝に化けた全成(新納慎也さん)が門番を下がらせ、義高を女装させ、侍女の振りをさせて八重(新垣結衣さん)と子供たちに紛れて御所を脱出、翌日三浦の船で伊豆山権現に逃がそうとしたのです。
義高は無事脱出出来ましたが、こっそりと訪ねてきた一条忠頼により事態が発覚し、義高に追手がかけられました。
義時は義高を逃がすため、伊豆山権現とは別の方角に追手を出し、頼朝の目を攪乱します。
しかし、父を死に追いやった義時のことが信じられない義高は、泊まるはずだった寺から逃げ出し、信濃に戻ろうとしたのです。
信濃は、義時が追手を出した方向でした。
運悪く追手に見つかった義高は絶命。
首は討ち取った藤内光澄が鎌倉に持ち帰りました。
大姫、政子の必死の懇願に頼朝が折れて、義高の命は助けると言った時、その知らせが鎌倉に入りました。
頼朝はこれを「天命」と言い、政子は絶対に許さない、と激高したのです。
頼朝は、義時の覚悟を試すため、密命を下しました。
義時は苦渋の決断のすえ、一条忠頼に謀反の疑いをかけ誅殺。
政子の怒りを買った藤内光澄も斬首しました。
義時は嫡男の不始末を盾に、信義に起請文を出させました。
信義は嫡男の死に嘆き、それでも家の存続のために起請文を出さざるを得なかったのです。
鎌倉は狂っている、と騒ぐ信義に動じず、義時は立ち去ったのでした。
義時は政子にも、御台所として軽々しく発言するなと立場が変わったことを突きつけたのでした。
前回、第17回「助命と宿命」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは第18回「壇ノ浦で舞った男」のあらすじと感想です。
大姫の嘆き
義高の死を知った大姫は、落胆し気力を失ってしまいました。
政子や実衣(宮澤エマさん)、阿野全成も心配し、八重も手習いを教えながら励まそうとするのですが、大姫の心は開かれません。
無理に開かせるのではなく、気長に大姫の心を癒そうと考える大人たちでした。
都に足掛かりを築いた源氏に対し、平家は瀬戸内海を押さえ、最後の抵抗を繰り広げます。
最終決戦が目の前に迫っていました。
平家を追い詰める
一の谷で敗れた平家は、四国の屋島に逃げました。
頼朝の作戦は、義経に四国を攻めさせ、範頼(迫田孝也さん)には九州を攻めさせ逃げ道を奪うというもの。
しかし、範頼の軍勢は長門(現在の山口県)まで進撃したものの、兵船が集められず九州へ渡ることができません。
兵糧も残りわずか、多くの御家人が鎌倉へ戻りたいと望んでいました。
そんな時、義時の策により、三浦義村(山本耕史さん)が豊後の臼杵惟隆と緒方惟栄と交渉して、味方につけることに成功。
船を借り九州に渡り、平家に攻勢をかけたのです。
その頃、摂津国では義経軍が降雨により足止めされていました。
兵を動かせぬことに苛立ちを募らせる義経。
梶原景時(中村獅童さん)は動けぬこの時にやっておきたいと、船に櫓を付け、前後に動けるよう改造したいと提案しました。
畠山重忠(中川大志さん)らは賛成するのですが、義経は逃げるための道具を考えてどうする、と反対。
この雨の中、敵の意表をついて出陣すると言い放ちました。
しかしこれには他の御家人が大反対。
義経は「坂東武者は腰抜けばかりだ!」と叫ぶと部屋を出て行ってしまいました。
1人で座り込む義経に近寄った景時に、義経は「私は思ったことを口にする。忘れてくれ」と謝罪しました。
景時は、よく考えれば、義経の言い分が正しい、と言います。
義経は、今嵐の中船を出せば、風に乗って反日で阿波に行ける、皆に迷惑はかけない、自分の手勢だけで行く、と嵐の中の出陣を決めました。
景時は義経の策に賛同し、屋島で待つ、と言った義経を見送りました。
畠山は、何も言わず義経を見送った景時に行かせていいのか、あれほどの武人を、と咎めるのですが、命を落とせばそこまでの人だったということ、九郎義経が神に選ばれた男なら、必ず成し遂げる、と言うのです。
義経は嵐の中、手勢を連れ5艘の船で出て、朝には阿波に到着、平家軍を強襲しました。
平家軍は背後を突かれ屋島を捨て海上に逃げました。
義経の勝利
その報告は鎌倉にすぐに届きました。
強すぎる義経が調子に乗り自分こそ次の鎌倉殿と野心を持たぬよう、頼朝は義経を総大将から降ろし、梶原景時を総大将にするよう命じました。
頼朝の命に納得できない義経は景時と激しい口論になりました。
義経が怒りのあまり刀を抜きそうになり、畠山らは必死にそれを押しとどめます。
三浦義澄(佐藤B作さん)は大戦の前に味方同士で争ってはならない、と言い、畠山は「平家はこの戦、死に物狂いで攻めてきます。九郎殿を欠くわけにはいきません」と義経を庇います。
景時が比企能員(佐藤二朗さん)に意見を求めると、比企は義経で良い、と答え、御家人の総意で総大将は義経のままということになりました。
この一連の口論は景時が義経を総大将のままにさせるための小芝居でした。
頼朝の命ですが、御家人たちの後押しで義経が総大将を務めるという筋書きが欲しかったのです。
義経と景時は、才ある者と理解者としての関係を深めていたのです。
義経は「兄上の胸の内がわからない」と嘆きますが、景時は「勝てばいいのです」と義経を宥めるのでした。
どう攻めると問われた景時は、無理をせず、幼い帝と三種の神器を取り戻すことを第一に考えようとするのですが、義経は勝利の後にそれらはついてくると考え、まず勝てる方法を模索します。
義経は、船上において漕ぎ手を失えば戦にならないと考え、まず漕ぎ手を狙うという方法を思いつきました。
壇ノ浦の戦い
元暦2年(1185年)3月24日朝。
長門国壇ノ浦の海上にて、源平両軍が激突。
義経軍が平家軍に囲まれ、苦戦しています。
壇ノ浦が見渡せる陸上に範頼軍は到着して、戦況を見ていました。
義村が援軍に向かうかと問うと、義時は敵の逃げ場を奪う作戦だからと持ち場を守ります。
陸に上がってきた兵たちは殺さず生け捕りにしろ、と範頼は命令を出しました。
敵船に囲まれ劣勢の中、義経は立ち上がり「敵は十分引きつけた!躊躇うことはない、漕ぎ手を射殺せ!」と叫びます。
畠山が「漕ぎ手は兵ではありません。殺してはなりません。末代までの笑い者になります」と義経を止めるのですが、義経は「笑わせておけ」と聞く耳を持ちません。
それどころか、漕ぎ手を狙えという命令に戸惑う兵たちに矢を向けて、放たねば命はない、と脅したのです。
震え上がった兵たちは、漕ぎ手に向けて一斉に矢を放ちました。
漕ぎ手を狙った矢は次々と敵方に刺さります。
その戦いぶりを範頼たちは呆然と見ていました。
漕ぎ手を失った平家の船は身動きがとれず、義経は敵船に次々と乗り移り敵兵を討ち取ります。
平家滅亡
形勢は逆転。
源平合戦の決着が着こうとしていました。
平宗盛(小泉孝太郎さん)は最早これまで、と覚悟を決めました。
義経が敵兵に刀を突きつけ、帝の所在を聞き出している時、兵が指さした船から女人が出てきました。
それは平家の滅亡を悟った二位尼。
船の帆先に立った二位尼は胸にしっかりと宝剣を抱き、そのまま入水しました。
その後、女官たちが三種の神器を持ちながら次々と入水。
義時たちはそのさまを呆然と見ていました。
さらに、幼い安徳天皇が按察局に抱かれ帆先に出てきました。
義経は「嘘だろ!やめろ!」と叫ぶのですが、その声は届かず安徳天皇も入水。
義経は呆然と佇み、畠山は手を合わせます。
義時も為すすべもなくその惨劇を呆然と見つめていました。
戦いが終わった浜を義時は歩いていました。
浜には矢で射殺された多くの敵兵が打ち上げられていました。
その惨状に消沈する義時。
そこに返り血を浴びた義経もやってきました。
「策が当たったなあ。どうした。これは戦だ。多少の犠牲はやむを得ん」と語ります。
義時は感情が爆発し「多少でしょうか?」と反論するのですが義経は冷静に「勝たねば意味がない。これまでに討ち死にした命が無駄になる。お前の兄も戦で死んだらしいな。無駄にならずに済んだぞ」と答えたのです。
義時は「兄は平家に苦しめられる民のことを思っていました。果たして喜んでくれているのかどうか…。」と零します。
「私の戦にケチをつけるか」という義経。
口ごもる義時に、「死んだ漕ぎ手は丁重に葬ってやれ」と義経は命じます。
そして「義仲も死に平家も滅んだ。この先、私は誰と戦えばいいのか。私は戦場でしか役に立たぬ」と呟くと立ち去ったのでした。
鎌倉では、頼朝が仏に手を合わせ祈っていました。
「山木攻めから5年、あっという間でござった…」と感慨深く呟く時政。
頼朝は、帝を失い、三種の神器も失い、これでは勝ったことにならない、義経を叱りつける、と呟きました。
夜、政子と2人になった頼朝は、「平家が滅んだ…」と呟きました。
「九郎がやってくれた…九郎が…平家が滅んだ…」と泣き咽ぶ頼朝に寄り添った政子は、頼朝の肩を抱きしめ、これまでの苦労を労いました。
戦勝報告
京に戻り、戦勝報告をする義経。
後白河法皇は義経の活躍を大いに褒めました。
義経が宝剣や帝を失ったことを謝罪するのですが、いずれ見つかる、と寛大に許すのです。
法皇に可愛がられ法皇の元から戻らない義経に御家人たちの不満が溜まり始めました。
その頃、範頼は戦後処理と失われた宝剣の行方を捜すため、九州に残っていました。
梶原景時は一足先に鎌倉に戻り、この度の戦についての報告をしていました。
義経の強さは神がかりだが、人の情を蔑ろにする、勝つためには手を選ばない、と言い募ります。
「鎌倉殿を差し置いて、平家の後は九郎義経の世だと口にする者も」と報告すると、頼朝はみるみる不機嫌になっていきます。
頼朝はすぐに義経を鎌倉に呼び戻そうとするのですが、義経は検非違使に任命されているため、都を離れることができません。
頼朝は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべました。
頼朝の怒り
頼朝の文を読んだ義経は、戦に勝ってどうして兄上に怒られなければならないのかと理不尽さに嘆きます。
義経は頼朝の喜ぶ顔が見たかっただけなのに、と項垂れました。
京から動けない義経に、検非違使の任を辞任したらどうかと義時が進言すると、義経はその言葉に頷きました。
義経は川で愛妾・静との逢瀬を楽しんでいました。
その場所に義時が頼朝の文を持ってきたのです。
義経には比企の姪・里との縁談が整っています。
里も京に来ているのは、と義時が苦言を呈すのですが、それそれ、これはこれ、と義経は静に夢中のようでした。
義時が呆れながら戻ろうとすると、木の影に隠れて2人を見つめる里の姿が。
里は義経が静に入れあげていることに気づいていたのです。
義経は、後白河法皇に検非違使辞任を申し出ましたが、義経を気に入っている法皇はそれを認めません。
どうしても鎌倉に帰りたい、という義経の意思を汲んだ丹後局(鈴木京香さん)が、生き残った平宗盛を鎌倉に護送する役目を思いつきました。
宗盛の首を刎ねるのは京で行うよう厳命し、必ず宗盛と共に京に帰ってくるよう命じたのです。
入水したものの死にきれず生き残った宗盛。
義経に面会した宗盛は、首はどこに晒されても体だけは親子一緒に埋めて欲しいと懇願します。
義経は自分が頼朝に進言する、と言うと、宗盛にも兄がいたな、と話しかけました。
諍いはしたことがあるか、と尋ねた義経に、宗盛は諍いはない、互を信じていた、と語りました。
一足先に鎌倉に入った義時から報告を受けた頼朝。
義経が検非違使を辞めず、宗盛を鎌倉に護送し、処罰は京で行うなど、どんな猿芝居だと怒りを顕にします。
義経には野心がある、と断言する景時に義時は反論します。
しかし頼朝は義経を許さず、義経の鎌倉入りを禁じ、宗盛のみを鎌倉に入れることにしました。
義時は、義経を蹴落とす発言をした景時に「九郎殿は鎌倉殿に会って話がしたいだけなのです」と弁明するのですが「あのお方は天に選ばれたお方。鎌倉殿も同じだ。お2人とも己の信じた道を行くには手を選ばぬ。そのようなお2人が並び立つはずがない」と言うのです。
鎌倉に入れない
義経一行は鎌倉の西、腰越に到着しました。
そこに待っていたのは北条時政。
義経はここに留まり、宗盛は時政が鎌倉に連れて行くというのです。
ここまできてなぜ鎌倉には入れないのかと嘆く義経に、宗盛は頼朝に手紙を書いたらどうかと提案します。
書けない、という義経に宗盛は自分が書いてやる、と持ちかけたのです。
5月16日、宗盛は鎌倉に入りました。
頼朝は庭に引き立てられた宗盛を御簾越しに眺めていました。
頼朝は宗盛と対面しても何の怒りも感じなかったといいます。
それよりも、義経の文に激高していました。
それは義経が書いたものではない、と見破っていたのです。
激高した頼朝は、宗盛を連れて京へ帰れ、と命じました。
頼朝の命令を聞いた義経は、宗盛に京に戻ろう、と言いました。
そして「その前に…」と言うと宗盛の息子・清宗を連れてこさせ、「今夜は親子でゆっくりと語り合うが良い」と2人の時間を作ったのです。
義経は「私は決めた、この先は法皇様第一にお仕えする、京の都で源氏の名に恥じぬよう生きる。私は検非違使の尉、源九郎判官義経だ」と義時に宣言しました。
その時、家人が農民を連れてきました。
それはかつて義経が鎌倉を目指していた時、芋を振舞ってくれた農民でした。
その時約束したことを義経は忘れずにいて、農民にたくさんの芋を返そうとしたのです。
農民は喜び、義経も楽しそうに皆と共に芋を頬張ったのでした。
次回、第19回「果たせぬ凱旋」
鎌倉入りを許されず京で悲嘆にくれる義経(菅田将暉)。義時(小栗旬)は大江広元(栗原英雄)に知恵を借り、源頼朝(大泉洋)と義経との関係修復を模索するが、後白河法皇(西田敏行)はそれを許さない。愚痴をもらす頼朝に対し苦言を呈す八重(新垣結衣)。この状況を政子(小池栄子)が憂う中、京では義経をめぐって里(三浦透子)と静(石橋静河)が対立。さらに源行家(杉本哲太)が義経に近づいて頼朝への疑心をあおり……
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより
平家との決着が訪れ、平和な世が来ると思いきや、頼朝と義経の間に亀裂が入ります。
兄のために懸命に闘ってきた義経ですが、真意は伝わらず、周囲も加わり兄弟の溝はますます深まっていきます。
義経が苦悩する回ですね。
誤解され、真意を疑われ、周囲に踊らされ、義経は破滅に近づいていきます。
残酷で冷酷に見えた義経像ですが、ここに来て宗盛親子にかけた情や、恩になった農民との約束を果たしたことなどで、義経像が変わってきました。
静御前との別れや奥州への逃亡。
義経の行く末はどうなってしまうのか、見応えある回になりそうですね。
最後に
壮大な戦シーン、見応えがありましたね。
船上での立ち回り、飛び交う矢、大迫力でした。
何よりも、平家滅亡のシーンが切なく美しく、涙がこみ上げてきました。
平家の女性たちは一言も話しませんでしたが、無言の中で粛々と入水するシーン。
甲冑を着ている兵士たちは助けに行くこともできず、ただ呆然と見ていました。
顔を覆う者、手を合わせる者、目を背ける者。
平家滅亡を望んでいても、このような結末を望んだわけではありませんでした。
幼い帝や女性たちまで命を失ったこの戦の結末に、涙しかありません。
勝つことに執着し、手段を選ばなかった義経もこの惨劇には呆然としていましたね。
流石に衝撃だったのでしょうね。
吾妻鏡では、宝剣を持って入水したのが二位尼、安徳天皇を抱いて入水したのが按察局とありましたので、本文ではそのように書かせて頂きました。
頼朝と義経のすれ違いがもどかしい回でもありました。
というか、梶原景時の情報操作が巧すぎて、何とも言えませんよね。
義経の理解者として振る舞いながら、鎌倉では義経の行動についての苦情を訴える。
景時の言い分を信じ、義経を遠ざける頼朝に苛立ちが募りました。
冷酷、非情、戦への執着など、恐ろしいイメージが強かった今回の義経ですが、ここに来て少しイメージが変わってきました。
兄に対する純粋な思いと農民や宗盛親子にかけた情。
義経はただ純粋で不器用な人物だったのかと感じ始めています。
それに対して頼朝は相変わらず人を信じない、冷酷な人物という評は変わりませんけどね。
これから、義経に起こる不幸は、御家人たちにも降りかかってきます。
恐ろしいですね、本当に恐ろしい所になってきましたね、鎌倉は。
冷酷な人物は頼朝だけではありません、意外な人物もどんどん頼朝化して冷酷になっていくのです。
続きが恐ろしくて震え上がりそうですが、次回、第19回「果たせぬ凱旋」も見逃せませんね。