2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。
前回のあらすじ
攘夷の志を持ちながらも、一橋慶喜(草彅剛さん)に仕えていた渋沢篤太夫(吉沢亮さん)ですが、天狗党の末路を間近に見て、一橋家での暮らしの中で、慶喜こそ天下を纏めるに相応しい人物であると見定めました。
そして、一橋を強くするためには、懐を豊かにする必要があると考えたのです。
同じように一橋に仕えている渋沢成一郎(高良健吾さん)は一橋を強くするために武の道を進むと定め、篤太夫は自分の得意である勘定方で一橋の懐を安定させるために動き始めました。
これまでの武士は金は卑しいものとしていましたが、篤太夫のように経済を重要視する武士も各藩に少しずつ出てきました。
幕府の小栗忠順(武田真治さん)は、フランスに助力を仰ぎ幕府の経済を支えようとし、薩摩藩の五代才助(ディーン藤岡さん)もまた、外国で幕府の先を行こうと奮闘していたのです。
篤太夫は大阪で年貢米の取引に入札制を導入、硝石を使っての火薬の生産と順調に利益を獲得していきます。
更に、播磨の木綿を一橋で全て買取り一橋の木綿として売り出す出すために奮闘していました。
しかし、なかなか農民の信頼が得られず、篤太夫は苦慮していました。
その頃、英国公使パークスは、7年前に条約を結んだ修好通商条約の勅許を幕府がまだ得ていないことに怒りを爆発させていました。
そして、7日以内に勅許を得ること、それができなければ英国が幕府を無視して直接朝廷に話をすると言い渡したのです。
その通達が届いた幕府は紛糾しました。
将軍・家茂(磯村勇斗さん)は、今更朝廷が勅許を出す筈が無いと困惑します。
これまで勅許がないとしてのらりくらりと問題を先送りにしていたのですが、これ以上の引き伸ばしは難しい状況です。
懇意にしているフランスの助力も期待できません。
すると、幕臣の永井はこれまで日の本を守ってきたのは幕府だとして、朝廷の勅許などいらないと言い始めます。
老中も賛同し、意見が纏まりそうになった時、慶喜が現れ公儀の独断による条約など不可であると叱責します。
そして自分が使者に立ち、朝廷からの勅許を得ようとするのです。
一度目の交渉では、朝廷を蔑ろにする発言をした老中を罷免するようにと言い渡され勅許は得られませんでした。
老中たちは、慶喜の陰謀と疑い、こういう手段に出る朝廷と慶喜に、幕府の大切さを分からせるために将軍の座を降りてはどうかと家茂に提案します。
家茂は、自分では難しいが慶喜ならばできるのかもしれないと、慶喜に将軍の座を譲ると言うと江戸へ戻ろうとしました。
慶喜は、家茂のもとに駆けつけ、自分が勅許を必ず取ってくると必死に説得して家茂を止めました。
慶喜は朝廷に赴き命懸けで説得を試み、孝明天皇の勅許を得ることができたのでした。
慶喜が一橋邸に戻ったと聞いた篤太夫は、慶喜に提言しようと待ち構えていました。
しかし、勅許騒ぎなどで疲労の溜まった慶喜は、熱を出して臥せってしまったのです。
疲れている慶喜に篤太夫を合わせるわけには行かないと、猪飼は篤太夫を止めました。
ならば代わりに聞いてください、と篤太夫は猪飼に行き詰まっている木綿について話し始めたのです。
篤太夫は、藍葉の売買をしている時の経験を交えて熱心に説明し、たまたま通りかかった慶喜が耳にしました。
慶喜は、篤太夫が非常に元気で生き生きと話をしている様子を見て、話の続きを聞かせろと促しました。
篤太夫は、商売の流れを良くするために銀札を作りたいと提言しました。
銀札を使用しているところはあるのですが、銀札に書かれた額面通りに取引しているところは少ないと説明します。
一橋の銀札に必要なのは農民の信用です。
篤太夫は熱心に話すのですが、慶喜の表情はどこかぼんやりとしていました。
ちゃんと話を聞いていたかと確認すると、慶喜は素直に篤太夫の顔を眺めていた、と白状しました。
これまで、幕府や朝廷との様々なやりとりに気鬱になっていた慶喜でしたが、おかしろい篤太夫の様子をみて少し気鬱が晴れたようでした。
そして、民を喜ばせるというならぜひ見てみたい、と篤太夫に許可を出したのです。
半年間かけて、篤太夫は銀札引換所を設立、篤太夫渾身の銀札取引は見事に成功したのです。
篤太夫はその働きが評価され、勘定組頭に就任。
成一郎は軍制所取調役組頭に就任し、2人は別々に暮らすことになりました。
成一郎は、せっかく武士になったのに、地元にいた時のように金勘定の仕事をする篤太夫を心配します。
しかし篤太夫はこれが自分の性にあっているとやる気を見せました。
成一郎は、かつて武士として名を残そうとしていた長七郎を止めたのは間違いではなかったと後悔していると話します。
死んでしまったらなんにもならない、と篤太夫は反論しますが、それを決めるのは己だと言うと、自分はいつか長七郎を揃って一橋の勇となる、お前は懐でも守ってろ、と捨て台詞を残すと家から出て行ったのです。
道は違えたけれど、互いに身しめて一橋を強くしようと、篤太夫は呟いたのでした。
第2次長州征伐が始まりましたが、幕府は苦戦を強いられます。
薩長同盟によって、長州が武力を得ていたことを知った家茂は呆然とし、息を詰まらせ倒れてしまいました。
前回、第19回「勘定組頭 渋沢篤太夫」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは第20回「篤太夫、青天の霹靂」のあらすじと感想です。
家茂の死
勘定組頭として一橋の財政立て直しに自分の居場所を見つけた篤太夫でしたが、その運命が大きく変わろうとしていました。
将軍・家茂が倒れ、慶喜は臥した家茂の側に控えていました。
目を覚ました家茂は、控えていた慶喜に、自分はまだ死ねない、今の徳川を残して死んでは、先の上様や命を掛けて私を立ててくれた井伊に面目が立たぬ、と言いながら起き上がりました。
自分は天子様の妹・和宮を御台としながら攘夷を果たせなかった、だからこそ、天子様が憎む長州だけは倒さなければならない、そなたにその覚悟はあるか、と慶喜に問いかけます。
よろけた家茂を抱き抱えながら慶喜は、家茂を選んだ先の将軍や井伊大老の目は確かだった、病が治った暁には必ずや徳川をお守りください、と家茂を励ましましたが、その直後、家茂は体調を悪化させ、この3日後に亡くなってしまったのです。
このことは、京の一橋家にも伝えられました。
報告を受けた側近の猪飼は、徳川に適齢の男子はおらず、慶喜が徳川宗家を継ぎ、将軍になるのでは、と危惧します。
同様に篤太夫も慶喜の決断に気を揉んでいました。
徳川家康(北大路欣也さん)の話
徳川の世は長らく戦のない時代が続きました。
歴代14人の将軍の中でも戦の陣で亡くなったのは14代家茂のみです。
この死によって、徳川の運命も篤太夫の運命も大きく変わっていくのです。
篤太夫の建白
家茂の死により、急ぎ大阪へ向かわなければいけない慶喜に、篤太夫は建白しようとするのですが、忙しい慶喜に会わせられないと側近たちに止められてしまいます。
それを振り切りながら慶喜に声を掛けると、慶喜は篤太夫の言葉に耳を傾けようとしました。
篤太夫は、将軍を継いではいけない、今の公儀はいくら賢明な慶喜が1、2の修正を加えようが倒壊を免れることなどできない、そうなれば、かつての自分のように血の気の多い者が集まり非難は必ず慶喜に向かう、そのように危ないとわかっている道をあえて進む必要があるのか、どうか一橋に残って欲しい、そして自分に慶喜を支えさせて欲しい、と平伏して懇願するのです。
しかし慶喜は、それに答えず、立ち去ってしまいました。
江戸城では、天璋院(上白石萌音さん)が報告を受けていました。
朝廷も老中も次期将軍に慶喜をと望んでいると聞くと、天璋院は、慶喜だけは駄目だと言い募ります。
家茂から次期将軍には田安の亀之助と言われていると主張するのですが、亀之助は未だ幼く、難しい状況です。
和宮は、大阪から戻ってきた家茂の亡骸と共に家茂から贈られた唐織を見て嘆いていました。織物など、家茂がいてこそのものなのに、と涙にくれ、家茂があんなに憔悴したのは将軍になったから、次は慶喜が苦しめばいいのだ、と恨み言を呟いたのです。
大阪に入った慶喜のもとには、松平容保らが訪れていました。
朝廷、老中の総意として慶喜が次期将軍となるべきと伝えに来たのです。
慶喜は、徳川の世はもはや滅亡するよりないのかもしれん、と口にしました。
目付の永井は、相続は、先の上様の御遺命でござる、と声を上げました。
上様は病の中言った、この先政務を慶喜に委任し、自分は養生に専念したいと、と主張したのです。
慶喜が老中の板倉にも真実なのか確認を取ると、永井の言葉に驚いていた板倉も頷いたのです。
もし、その発言が本当ならば、自分は自分の思う通りに徳川に大鉈を振るうかもしれないが、それで構わないのか、と言う慶喜。
集まった人々は、慶喜のその言葉に一斉に頭を下げました。
そして慶喜は、徳川宗家を継ぐことになり、次の将軍となることが決まりました。
さらに慶喜は孝明天皇から節刀を授けられ、長州征討を命じられました。
長州征討
慶喜が徳川宗家を継ぐことにより、一橋家家臣は、長州を征討するために出兵することになりました。
成一郎と伝蔵改め須永虎之助(萩原護さん)は、俗事役として戦う兵を助ける役につき、篤太夫は御用人手附として本営に入ることになりました。
難色を示す篤太夫ですが、原市之進から、「殿直々の命だ、あれほど失礼を申したというのに、殿はお主を入用と申されておる、心して戦の支度をせよ」と言い渡したのでした。
篤太夫は出陣を前に、血洗島の千代(橋本愛さん)に手紙を書きました。
慶喜の供として長州征討に赴くこと、そして形見として懐剣を送ったのです。
父・市郎右衛門(小林薫さん)は、栄一は侍になったのだから、一橋の殿のために命を懸けるなんて誉れではないか、と千代に声を掛けます。
しかし、母・ゑい(和久井映見さん)は、行かせるんじゃなかった、と嘆きます。
千代は言葉もなく、蹲り声を殺して涙したのでした。
しかし、北九州で奮戦していた小倉城が落ち、幕府軍の敗北が決定的となりました。
慶喜は「もはやここまでだ、引き際であろう」と兵を引き、朝廷には和睦の勅命を出して欲しいと依頼し、長州には密使を出したいと冷静に対処するのです。
松平容保は諦めるのが早い、と進言するのですが、慶喜はもはや天子様以外にこの戦を望んでいる者はいない、理解してもらわないと、と動き始めました。
容保は呆然とし、悔しげに拳を握り締めたのでした。
報告を受けた孝明天皇は、攘夷もままならず長州征伐もできず、何もかも思い通りにならないことに苛立ちを隠せませんでした。
そして、ふと、岩倉具視(山内圭哉さん)の存在を思い出したのです。
岩倉は皇女和宮の降嫁を推し進めたことから謹慎処分を受けていたのです。
その頃、岩倉のもとには薩摩の大久保一蔵(石丸幹二さん)が訪れていました。
岩倉は、大久保相手に、不平を述べていました。
お上は夷狄が来てから急に日の本中の耳目を集めるようになった、神風起こしてくれだの尊皇攘夷だの。
しかしあいにく帝は薩摩の当主と違い兵もお金も何も持っていません。
自分は、公儀を踏み台にしてお上にそれに見合うような力を付けて差し上げたかった、しかし朝廷を司る公家の頭が古すぎて、と嘆いていました。
大久保が薩摩も長州ももはや幕府を見限り天子主導の政権を目指していると伝えると、岩倉は喜び、今こそ武家の世を終わらせて王政復古を目指す、と意気込むのでした。
幕臣となる
慶喜の宗家相続に伴い、一橋家の家臣の一部が将軍家に召抱えられることになりました。
篤太夫と成一郎も宗家の御家人になることが決まったのです。
これまで世話になっていた猪飼は、江戸の一橋家に戻ることが決まりました。
篤太夫は猪飼との別れで、慶喜が将軍になったことでもう二度と直に建言なんて届かない、と涙を流して嘆き、猪飼に慰められました。
幕臣となった篤太夫と成一郎は、大阪の陸軍奉行所の書記官として働くことになりました。
「殿は遠い遠いお方になってしまった」と篤太夫は嘆き、成一郎はおもしろくない、と零します。
いっそのこと辞めてしまおうか、と篤太夫は腐り始めます。
成一郎は、臣下として殿を守りたいという気持ちは変わらない、と告げるのです。
すると2人の間で口論が始まり、そのうち取っ組み合いの喧嘩が始まりました。
翌日、篤太夫と成一郎の間はまだ気不味い雰囲気が流れていました。
謀反人捕縛
そんな中、陸軍奉行所に謀反人捕縛の仕事が入ってきました。
そんな仕事は新選組にでもやらせればいい、という声も上がるのですが、奉行の名代として誰か同行させなければならない、と奉行はいい、気が荒い謀反人との対峙など皆が嫌がっていました。
そこで、白羽の矢が立ったのは、浪人上がりで気が荒く、大阪の代官も頭が上がらないという篤太夫でした。
気が乗らない風の篤太夫でしたが、役目を言い渡され、了承します。
するとそこに、新選組の土方歳三(町田啓太さん)が現れました。
「渋沢殿、貴殿を護衛する命をうけた。憚りながらご安心ください」と言ったのです。
土方は、「ただいま探索の者を遣わしてござる、大沢が戻り次第我らが取り押さえます。その上にてご自身の使命を達せられよ」と伝えます。
すると篤太夫は、まずは先に自分が大沢に奉行の命を伝えるのが筋である、と反論しました。
まだ罪があるかどうかもわからぬ者を、有無を言わせずに縛るのは道理に外れる、さような卑怯な振る舞いはできない、と言い募ったのです。
尚も反論しようとする土方ですが、篤太夫は自分にも腕はある、そんなこともわからないのならば護衛などいらない、一人で出向く、と言い放ったのでした。
そして夜、篤太夫は新選組と共に大沢のもとへと向かいました。
篤太夫は宣言通り一人で踏み込み、大沢に奉行所の命を伝えたのです。
すると、大沢は家の奥に逃げようとしました。
篤太夫が大沢を追いかけ中に踏み込むと、大沢を守る志士たちが篤太夫に刃を向けました。
1人で応戦していた篤太夫ですが、多勢に無勢、直ぐに追い詰められてしまいました。
あわや、というところで土方が突入し、篤太夫を囲んでいた志士たちを薙ぎ払いました。
篤太夫の横の押し入れに潜んでいた大沢も確保し、大沢は連行されました。
篤太夫は土方に「ご苦労であった」と声をかけました。
土方は「結局、働かせて頂くことになりましたな」と答えます。
もう少し早く来るかと思っていた、と苦笑する篤太夫。
土方は、「先ほどの貴殿の覚悟は武士としてごもっとも。心服いたした。これは貴殿の功、褒美でも受け取られるが良い」と続けます。
しかし篤太夫は、「いや、本音で言えば名代などばからしい話だ、こんなもんお奉行様が直に大沢に会い腹割って真偽問い質せば良いだけだ。それを幕吏というのは風通しが悪い、そんなところに己は入ってしまった。俺たちもこうしてただ禄を食んでるうちに亡国の臣となる」と答えました。
そんな篤太夫を諌める土方に、篤太夫は自分は元は武州の百姓であると告げました。
志を持って草莽の志士になるつもりが一橋に仕官することになり、戦う覚悟を決めたかと思えば戦はねえし、やっとお役に立てる道を見つけたかと思えばその道も途絶え、今じゃ大っ嫌いだったはずの幕臣になった、と自嘲しました。
すると土方も自分は武州多摩の百姓であったと告白します。
土方は、自分は武士となって国のために戦うのが目当てだったと話します。
だから、篤太夫と違って少しの後悔もない、と告げました。
土方の話にため息を付きながら、篤太夫は行く手に詰まったり迷ったりばかりだと嘆くのです。
でも、日の本を守りたいという思いは同じ、と告げました。
篤太夫は、土方と話せて良かった、武州の風を思い出し、あの頃の己の気持ちも思い出せたと告げ、いつかまた会った時に恥じぬよう、俺もなるたけ前を向いて生きてみることにする、と別れたのでした。
その頃、江戸の小栗は慶喜が将軍の座に就く事に不満を述べていました。
しかし、パリ万博が間近に迫り、公儀から誰を出すかの選択が迫られていたこともあり、次期将軍となる慶喜に相談しようと手紙を書き送りました。
手紙を受け取った慶喜は、側近の原に「渋沢はどうしているか」と尋ねたのです。
次回、第21回「篤太夫、遠き道へ」
篤太夫は、パリ万博に参加する慶喜の弟・昭武の随行でフランス行きを打診され、その場で快諾する。一方、慶喜は第15代征夷大将軍に就任。慶喜は篤太夫を呼び出し、昭武の未来を託す。その後、横浜で初めて勘定奉行・小栗忠順と対面した篤太夫は、このフランス行きに秘められた重要な目的を知らされる。旅立ちの前、成一郎と再会した篤太夫。二人は牢(ろう)に囚(とら)われている長七郎と久々に対面するが…。
大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより
篤太夫がパリに行くことになりましたね。
パリの金融政策や文化などに触れて、日本の近代化のために学ぶ時がやってきました。
慶喜は篤太夫の商才を随分評価していたようですね。
しかし、ただ行くだけではなく何か重要な目的もあるようです。
久々に長七郎も登場するようですが、どんな展開が待ち受けているのやら。
次回、第21回「篤太夫、遠き道へ」幕臣となって心が腐りかけていた篤太夫が覚醒します。
篤太夫の活躍に期待大ですね。
最後に
磯村勇斗さん演じる将軍・家茂が亡くなってしまいました。
外国船の来航により混乱に陥った日本の将軍として、若いながらも真摯に政務に取り組み、迷い、戸惑い、挫折する繊細な将軍を磯村さんは見事に演じきりました。
老獪な老中に揉まれながら逞しく成長を続けていた家茂ですが、志半ばで亡くなってしまい本当に残念です。
朝廷と薩長をはじめとする外様大名、そして身内である幕臣と板挟みになり、苦悩する姿。
その繊細で儚げな演技は素晴らしかったです。
御台所である和宮との交流シーンは、穏やかで優しげで心が和みました。
頼りなげな将軍だった家茂が最後は徳川のために壮絶な覚悟を見せるシーン、そのギャップに驚き成長に感動しました。
本当に素敵な家茂でした。
それから、血洗島の家族の姿は印象的でした。
栄一が送ってきた懐剣を見て言葉をなくす千代。
武士になったのだから、殿のために命をかけるのは誉れなことだと理解を示す父。
こんなことなら行かせるのではなかったと憤り悲しむ母。
蹲り声を殺して泣く妻の姿。
そして、母を心配する幼い娘の姿。
突っ走る栄一を心配する家族それぞれの悲しみが伝わりとても切ないシーンでした。
残され待ち続ける家族は辛いですよね。
早く、皆一緒に暮らせる日が来るといいのに、と願ってしまいました。
それにしても赤ちゃんだったうたちゃん、随分大きくなりましたね。
それにも感動でした。
それから、栄一と新選組・土方歳三とのシーンも印象に残りました。
これまであまり口数が多くなかった土方ですが、栄一が元百姓と知るととてもフレンドリーに饒舌になりました。
厳しい表情や戦闘シーンが多かっただけに、2人の故郷の話はとても和みました。
2人で話したことで栄一は初心を思い出すことができ、すっきりとした顔になりました。
迷いが晴れたような表情に変化していましたね。
しばらくふてくされたような腐った表情ばかりだったので、2人のやり取りで気持ちを持ち直せて本当に良かったです。
「もちっと早く来るかと思ってた」とか、あの辺のやり取りも面白かったですね。
いらない、って言ったくせに。
栄一の微妙にくすぐったいような表情がとても印象的でした。
そしてやはり印象的だったのは、慶喜と対峙する時の栄一の表情の変化でしょうか。
第20回の前半部分では、一橋の役に立てたと誇らしげな表情で慶喜と対峙していた栄一。
しかし後半では、殿は天上人になってしまい、直接建言などできない、とやさぐれる栄一の表情。
本当に別人のように違っていて、栄一がどれほど慶喜を慕っていたのかがよくわかりました。
慶喜も同じですよね。
前半の慶喜は、優しげに栄一を見ていましたが、栄一が「将軍になってはいけません」と言った時の表情は、非常に苦しそうでした。
聡明な慶喜にはいろいろ先のことが見えていたでしょうに。
だから大鉈を振るう、などと発言したのでしょうね。
栄一の言っていることの正当性が理解できるけれども、状況がそれを許さない。
栄一の言うとおり一橋に残れるものならきっと残りたかったでしょうね。
苦しい選択を突きつけられた慶喜を見ていて切なくなりました。
それにしても永井ってば。
家茂は田安の亀之助って天璋院に言ってあったのに、でっち上げでしょうかね、家茂が政務を慶喜に任せて静養したいと言っていたなど、よく言えたものです。
あんなに慶喜に厳しい目を向けていたのに、あっさり手のひらを返す幕臣たち。
なんとも言えませんね。
徳川宗家を継ぎ、将軍となることが決まった慶喜。
でも、栄一たちのことを忘れたわけではありません。
パリの万博についての相談を受け、栄一の存在を思い浮かべました。
栄一の適正をきちんと見極めていたのでしょうね。
次回予告では、栄一は慶喜と対峙していい表情をしていました。
陸軍奉行所での仕事では腐っていた栄一ですが、次回は生き生きとした表情をしていました。
次回、第21回「篤太夫、遠き道へ」で、栄一はパリに向かうことになります。
家族の心配はつきませんが、栄一は次のステップに進む時が来たんですね。
次回、「篤太夫、遠き道へ」での栄一の更なる成長に期待しています。