嵐の松本潤さん主演の2023年大河ドラマ「どうする家康」。
脚本は、稀代のストーリーテラー・古沢良太さんです。
毎週日曜BSプレミアム午後6時~、NHK総合午後8時~、第1回は15分拡大で放送されます。
徳川家康の生涯を新たな視点で描く、スピード感溢れる波乱万丈の戦国エンターテインメント。
こちらでは、大河ドラマ「どうする家康」のあらすじと感想をお届けします。
小国・三河岡崎城主の子として産まれた徳川家康が、襲い掛かってくる数多のピンチに立ち向かい、個性豊かな家臣団と共に、難問に決断を下し続け、天下を取るまでの物語。
その道のりは決してたやすいものではなく、常にピンチと我慢の連続でした。
嵐の松本潤さんが迷いながらも決断を続ける若き家康を演じます。
群雄割拠する戦国時代を、家康がどのように渡り切るのか、どのように難問を潜り抜けていくのか。
弱虫、泣き虫の家康が天下人として成長していく姿が楽しみですね。
名だたる武将たちに豪華俳優陣がキャスティングされており、爽やかな中にも重厚な雰囲気を感じられ、期待で胸いっぱいです。
それでは第1回「どうする桶狭間」のあらすじと感想です。
はじめに
今日、この平和な世があるのも、全ては大御所、東照大権現様のおかげ。
まさに天が私たちに授けてくださった神の君でございます。
我らが神の君はいついかなる時も勇敢であらせられました。
桶狭間合戦の折もまたしかり。
雨の中、松平元康(松本潤さん)は、逃げていました。
建物から縄を使って逃げ出し、「もう嫌じゃ!」と叫びます。
人質時代
日本各地が血で血を洗う戦乱の時代。
強国に囲まれてとてもか弱い国がありました。
三河岡崎城主・松平広忠の長男として元信(元康)は生まれました(幼名は竹千代)。
3歳の時、母・於大の方が離縁され、母と離れ離れとなってしまいました。
6歳の時には織田の人質となり、8歳の時に父・広忠が死亡。
その後、織田と今川の人質交換により、元信は駿府・今川領で人質生活を送っていました。
弘治元年3月に元服し、名を松平次郎三郎元信と改めました。
そして弘治2年(1556年)、物語が始まります。
のんびりと人形遊びをしている元信(元康、後の家康)のもとに家臣たちがやってきます。
元信は急いで人形を隠し、勉強していたように見せかけています。
石川数正(松重豊さん)と平岩親吉(岡部大さん)から、今川の若君・氏真(溝端淳平さん)との手合わせの予定があると聞かされると、何だかんだ理由を付けて、手合わせから逃げようとしています。
しかし、数正から有無を言わさず連れ出され、渋々手合わせの場に出向きました。
嫌がる元信ですが、手合わせからは逃げられず、仕方なく立ち会います。
氏真が繰り出す棒を受け止められず、一方的に打たれ転がされる元信。
氏真から馬鹿にされても、見学していた女性たちがクスクス笑っても元信は気にせず、へらへらしています。
そこに今川義元(野村萬斎さん)が通りかかりました。
義元から痛めた膝を癒すように言われた元信は、義元が立ち去るとすぐに膝を抱えて痛がります。
それを数正たちは「負けてへらへらしない!」と叱責しながらも、手当てするのです。
ある日、元信が自作の木彫りの人形で遊んでいると、関口氏純(渡部篤郎さん)の娘・瀬名(有村架純さん)と出会いました。
人形遊びをしていたことを黙っていて欲しいと懇願すると、瀬名は一緒に遊ぶなら黙っていると約束します。
そして元信と瀬名は遊び友達になったのです。
岡崎に戻る
夕方まで瀬名と遊び、与えられた屋敷に戻り、家臣たちと夕飯を共にしていると、数正から父の法要のため岡崎に戻ると言われます。
人質のため、岡崎に行くのは難しいのではと元信が言いますが、数正は既に義元の許可を取ってありました。
そして向かった岡崎に到着した元信は愕然としました。
人質として住んでいる駿府と違い、岡崎があまりにも貧しく寂れていたからです。
しかし城下に入ると、家臣たちは久しぶりに帰ってきた元信のもとに集まり、大歓迎です。
先に岡崎城に入り、城代を務める山田新右衛門(天野ひろゆきさん)に挨拶をすると、岡崎城で過ごすよう言われます。
素直に頷く元信ですが、数正が「挨拶に伺っただけ」と断り、元信は城下で家臣たちのもてなしを受けることになりました。
粗末な家に粗末な食事。
しかしそれは家臣たちの精いっぱいのもてなしです。
家臣たちは元信のもとに集い、嬉し気に名乗り、宴会で楽し気に笑います。
しかし盛り上がる家臣たちとは裏腹に、元信は何が楽しいのかわかりません。
宴会が終わり、1人項垂れる元信に、数正は岡崎がこんなに貧しく暮らしていることに驚いたと話します。
稼ぎのほとんどを年貢として今川に取られ、岡崎の民は生活に苦しんでいました。
数正は元信に訴えます。
あの者たちこそが元信の家臣であり、今は今川の城代が居座るあの城こそ、元信の城なのだと。
いつか必ずあの者たちと共に三河一国を束ねるべく立ち上がる時が来る、と松平家再興の思いを語るのです。
瀬名をかけて
駿府に戻った元信は、瀬名に家臣たちの思いが重荷であると打ち明けます。
瀬名は、それは元信が背負わなければならないのか、弱虫、泣き虫の元信には無理だと笑います。
しかし、「瀬名は次郎三郎様のそんなところが…」、と言いかけた時、2人の隠れ家に瀬名の母・巴(真矢ミキさん)がやってきて、2人を引き離します。
そして作った東屋も壊されてしまったのです。
今川氏真は、父・義元に側室を持ちたいと懇願します。
氏真が求めたのは瀬名でした。
瀬名が父と義元に呼ばれ行ってみた先は、氏真と元信が手合わせをしているところでした。
義元は、氏真と元信に、手合わせに勝った方に瀬名を娶わせる、と宣言します。
氏真も元信も驚きますが、瀬名を得るため、2人は向かい合いました。
いつも通り仕掛けてきた氏真の棒を自分の棒で受け止めた元信。
数度の打ち合いの後、棒を落とした元信は、氏真に体術を仕掛け、見事勝利を勝ち取りました。
義元は、元信はこれまで氏真の面目を保つため、わざと負けていたと指摘し、相手を侮辱する行為は二度とするなと叱責します。
そして氏真には、側室は尚早であると言い渡しました。
人質である元信との婚姻ですが、関口氏純は許可し、元信と瀬名は結婚することになりました。
家臣たちにも優しく語り掛ける瀬名に、家臣たちは涙を流し喜びます。
その後、初陣を済ませ、立派な侍大将になった元信は、松平蔵人元康と改名。
永禄2年(1559年)、瀬名との間に嫡男・竹千代(後の信康)が誕生しました。
桶狭間での任務
永禄3年(1560年)、運命の桶狭間合戦が始まりました。
今川と織田の対立が深まり、争乱が起こっていました。
今川と織田の領土争いは激化し、尾張東南の大高城、沓掛城一帯が今川の領土となりました。
更に荷之上城に近い蟹江城を攻める今川勢に織田信長(岡田准一さん)も動きました。
今川の村木砦を攻め落とし、笠寺城を奪還、鳴海城周辺には丹下砦、善照寺砦、中嶋砦を築き、大高城周辺には丸根砦、鷲津砦を築き、今川勢を執拗に攻撃したのです。
今川方の鵜殿長照(野間口徹さん)が城代を務める大高城は織田方の攻撃を受け、もはや陥落寸前となっていました。
織田を追い払うため、義元自ら大軍を率いて出陣することになりました。
元康は、陥落寸前の大高城に兵糧を運ぶ役目を命じられました。
任務を理解していない元康は、「ただ米を運ぶだけ」と喜び、妻の瀬名も喜びます。
しかし実際は、織田勢が守る丸根砦を突破し、大高城まで兵糧を運ぶ危険な役目でした。
作戦を練る家臣たちの言葉に愕然とする元康。
危険なことはいつも三河勢が命じられる、今川の捨て駒のような扱いだと家臣たちは不満を漏らします。
そこに義元が陣中見舞いを持ってやってきました。
家臣たちの言葉を聞いていた義元は、「余は決して捨て駒などとは思ってはおらんぞ」と言います。
義元は、戦乱の世を収めるため、三河勢の力が必要と元康たちを鼓舞します。
義元と氏真を末永く支えて欲しいと言われた元康は、やる気が漲ります。
そして義元は元康に金陀美具足を贈りました。
鉛の玉も通さないというその鎧は、金色に輝き、どこにいても元康の姿を味方に教えてくれるようでした。
喜んでその鎧を着こんだまま、元康は出陣しました。
大高城へ
5月19日、三河勢は元康の掛け声により、勢いよく走りだしました。
兵糧を守りながら、家臣たちは敵兵をなぎ倒し、猛攻を続けます。
砦に侵入し、待ち構える敵の攻撃に、兵糧を少なくしつつ、それでも残った兵糧を届けるべく、元康たちはひたすらに大高城を目指して走り抜けます。
数正や酒井たちを殿に残し、元康は大高城に辿り着きました。
三河勢の到着に、大高城城代・鵜殿は涙を流し、喜びました。
本陣の今川義元も、大高城に向けて進軍を開始します。
殿に残してきた家臣たちも無事に合流し、義元の訪れを待ちますが、なかなかその軍勢が見えません。
外は大雨が降ってきました。
突然の知らせ
雨が降り仕切る中、なかなかやってこない義元の身を案じる元康。
皆がじりじりと焦り始めていました。
そこに伝令がやってきました。
織田の強襲を受け、今川勢は総崩れ、義元は討ち取られたとの知らせでした。
呆然とする元康。
なかなか伝令の言葉を信じられず、動揺する元康に、家臣の鳥居忠吉(イッセー尾形さん)は真実を突きつけました。
このままでは三河勢だけが敵中真っただ中に取り残されることになります。
今川勢は義元の訃報を聞き、堰を切ったように逃げ出す始末。
元康の周りではどうするべきか様々な意見が飛び出しています。
早く意見をまとめなければ、と皆が元康を振り返ると、そこに元康の姿はありませんでした。
全てが嫌になった元康は、家臣たちから逃げたのでした。
粗末な蓑に身を包み、笠で顔を隠しながら逃げる元康。
1人で浜辺を歩いていると、一騎の武者が追いかけてきて、元康に槍を投げつけます。
元康は攻撃をかわしながら逃げ惑い、海に入ってしまいました。
武者は元康の襟首を掴むと、砂浜まで戻しました。
元康は「三河もんか!主君と知っての狼藉か!」と武者に向かって叫びます。
すると武者は「恥ずかしくないのか!主君などと、俺は認めぬ」と元康を一喝したのです。
その言葉で目が覚めた元康は、武者に連れられ、大高城に戻りました。
大高城に戻った元康を見て、本田忠真(浪岡一喜さん)は青ざめます。
連れ帰った武者が元康に無礼を働いたのではないかと思ったのです。
その武者は本田忠真の甥にあたる忠勝(山田裕貴さん)、今回が初陣の若武者でした。
家臣は、逃げ出した元康を責めず、考えを纏めていただけだと庇いました。
そこに、2千の織田勢が大高に攻めてくると知らせが入りました。
織田信長の名を聞いた元康は、かつて幼い頃に織田方に人質としていた頃、信長と過ごした時のことを思い出し震えだしました。
「あの男はまともじゃない、あれは獣だ、飢えた狼じゃ!」と叫ぶ元康に、家臣たちは決断を迫ります。
どうする元康!
次回、第2回「兎と狼」
織田軍に包囲され、絶体絶命の松平元康(松本潤)。だが、なぜか織田信長(岡田准一)は兵を引く。元康は慌てて大高城を飛び出し、瀬名(有村架純)を残す駿府に帰ろうとするが、家臣団は故郷の三河に戻りたいと猛反対。元康は渋々三河へ向かうが、敵の罠にはまり、重臣の鳥居忠吉(イッセー尾形)が大けがを負うなど松平軍は壊滅状態に。何とか岡崎の大樹寺に逃げ込んだが…。
NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより
幼少時のトラウマから織田信長との接触を嫌がる元康。
楽しそうに元康を追い詰める信長が恐ろしいですね。
今川の混乱の最中、元康は家臣団と共に岡崎に戻り、再起を図るのですが、ここでも元康に難題が降りかかります。
元康は一体どうするのでしょうか?
最後に
とにかく驚きの連続の「どうする家康」初回でしたね。
まず、これまでと全然違う元康に驚きました。
ずいぶんのびのびのんびりと育ち、気弱な少年になっていましたね。
それを松重豊さん演じる石川数正たちがビシビシ突っ込みを入れつつ、大切に大切に育てている描写に驚きました。
無邪気な少年でしたよね。
有村架純さん演じる瀬名とのふれあいも、甘酸っぱくて微笑ましくてムズムズしてしまいました。
でも、それだけの少年ではありませんでしたね。
溝端淳平さん演じる氏真との勝負は、氏真に花を持たせるためにわざと負けていたのだと後にわかりますし、それを見抜いていた野村萬斎さん演じる今川義元の威厳溢れる姿に感服しました。
その今川義元ですが、まさか第1回で退場とは、思ってもいませんでした。
回想とかでたくさん出てくるのかもしれませんけど、伝令でその死を知るなんて、とにかく驚きです。
確かに元康視点だとそうなるんでしょうけど、まさか初回で…、と思うと、とにかく驚きでした。
また、戦場で見せた舞は見事でしたね。
公式サイトでもう一度全部見てしまいましたけど、本当に凛々しく威厳に溢れ、迫力に満ちた美しい舞でした。
驚きと言うと、山田裕貴さん演じる本田忠勝の登場シーンも驚きでした。
大高城から元康が逃げ出す?
そこで驚愕したのですが、さらに忠勝に追いかけられて罵倒されて連れ戻されるなんて…。
とにかく驚きの連続で、目が離せませんでした。
最期の方に少しだけ出てきた岡田准一さん演じる織田信長の、まるでサディストのようなセリフに恐怖を感じましたし、その辺は今までのドラマと全く違う感じでそこも驚きでした。
阿部寛さん演じる武田信玄も神がかった様子で登場してましたし、これからも驚きがいっぱいなんだろうな、と感じる初回でした。
大高城に留まるのか逃げるのか、その決断を迫られたところで初回は終わりましたが、さて、次回、第2回「兎と狼」で、元康はどんな決断を下すのでしょうか。
驚きがいっぱい詰まった「どうする家康」、目が離せませんね。