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どうする家康 第45回「2人のプリンス」のあらすじと感想

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嵐の松本潤さん主演の2023年大河ドラマ「どうする家康」。

脚本は、稀代のストーリーテラー・古沢良太さんです。

毎週日曜BSプレミアム午後6時~、NHK総合午後8時~放送されます。

徳川家康の生涯を新たな視点で描く、スピード感溢れる波乱万丈の戦国エンターテインメント。

こちらでは、大河ドラマ「どうする家康」のあらすじ、ネタバレ、感想をお届けします。

さて、第45回「2人のプリンス」では、成長した豊臣秀頼と、2代目将軍徳川秀忠という2人のプリンスのお話になります。

次代を担う2人。

老い先短い徳川家康は、2代目将軍に指名した秀忠のため、豊臣との問題解決を急ぎ始めたのです。

目次

前回のあらすじ

関ケ原の合戦の戦勝報告をした家康(松本潤さん)。

茶々(北川景子さん)は秀頼に、これからは家康を父のように思えと言い聞かせます。

秀頼が成長するまで政を頼むと茶々は言います。

家康もそれに同意し、にこやかに応じていました。

しかし、茶々の本心は家康に対する猜疑心に溢れ、幼い秀頼に、絶対に家康を信じてはならない、と教え込んでいたのでした。

関ケ原の戦いから3年後、家康は征夷大将軍となり、徳川幕府が開かれました。

新しき世を作るため、若く才ある者を多く登用し始めます。

家康の老臣たちも戦無き世を堪能していました。

本多忠勝(山田裕貴さん)は、自身の勇猛な絵姿を描かせ、榊原康政(杉野遥亮さん)は、秀忠の教育係を務めています。

戦に生きた自分たちは、もう最前線から退くべき時が来たと2人は感じていました。

慶長9年、家康の孫、千姫が秀頼に嫁ぎました。

大阪城に集まった豊臣恩顧の家臣たちは、秀頼の目覚ましい成長に喜びを隠せません。

家康は、次代を担う秀忠が身内ばかりを慮るように思え、家臣の前で叱責。

家康が秀忠と同じ年の頃、家康には過ちを酷く叱ってくれる家臣たちがいました。

しかし今の秀忠には誰もいません。

康政は、経験を積むには時間がかかると諫めるのですが、家康は時間がない、と言い切ります。

関ケ原はまだ終わっていない、と家康は考えていたのです。

戦後、牢人となった者たちが続々と大阪に集まっている様子。

家康は、忠勝と康政にまだ隠居は許さん、2人の力が必要だと頼むのでした。

ある日、秀忠を呼び出した家康は、上に立つ者の心構えを言い聞かせ、1年後、秀忠に将軍職を譲ると宣言しました。

しかしそれを知った豊臣方は大激怒。

天下は徳川が継いでいくということかといきり立ちます。

そんな不穏な空気の中、慶長11年、榊原康政、死去。

その4年後、本多忠勝、死去。

牢人たちが続々と大阪に集まってきたという報告を受けた家康は「時は満ちた」と呟きました。

慶長16年、豊臣秀頼(佐久間龍斗さん)は19歳になっていたのです。

前回、第44回「徳川幕府誕生」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは第45回「2人のプリンス」のあらすじと感想です。

約束

家康に秀頼が成長するまでの間の代わりを頼んだ茶々。

秀頼は19歳、麗しく成長していました。

慶長16年、大阪城にて、家臣達の前で舞を披露する秀頼。

その舞を見ながら、茶々はこの天下を艱難辛苦の末、この世を1つに纏めたのは誰かと問います。

千(原菜乃華さん)は、亡き太閤殿下だと答えます。

家康は豊臣の家臣としてその代わりを任されていただけ、秀頼が成長した暁には天下を返す約束をしている、と茶々は言います。

家康は盗人ではないだろう、と語る茶々。

千姫は、家康は約束を破る人ではない、と主張します。

しかし茶々は、その約束を破ったのならば、その時は戦になっても仕方のないこと、欲しい物は力で手に入れる、それが武士の世の習わしなのだから、と言い募ったのです。

駿府城の家康に、江戸から秀忠(森崎ウィンさん)が到着したとの知らせが入りました。

ぼんやりとした様子の家康を気遣う阿茶(松本若菜さん)。

家康は、昔のことばかり思い出す、儂も…そろそろかの、と遠くを見つめるのです。

豊臣と徳川

大阪は関ケ原で牢人となった者たちを匿い、施しを与えていると言います。

また武具・兵糧を集め、戦に備えている、世間は徳川と豊臣がぶつかるという噂でもちきりになっていると本多正信(松山ケンイチさん)は言います。

この10年、天下の政務をとってきたのは徳川。

家康の元、政を確りと進めていくことこそが、世の安寧の根本だと秀忠は言います。

正信の嫡男・正純(井上祐貴さん)は、もうそろそろ豊臣の方が下だと思い知らせるべき、秀頼に臣下の礼を取らせるべきと言い募ります。

3月の天子様のご譲位に合わせ、二条城に秀頼を呼び臣下の礼を取ってもらうのだ、と正純は息巻きます。

「大人しく来てくださるとは思えませんが」と阿茶が言うと、武力で、と正純は言いますが、家康は「ならん、それは避けたい」と止めたのです。

未だ秀吉を慕う者は多く、その遺児である秀頼を蔑ろにすれば、万民の怒りは徳川に向かう、というのです。

「では、どうすれば…」と秀忠は悩みます。

よもや天下を返す気なのかと家康に詰め寄ります。

上手くやらねばならないと家康は言います。

力で跪かせては危ない、と阿茶も同意。

正信は、秀頼を二条城に招き、家康と対面してもらう、ただ、上段に座ってもらい、しっかりと崇め奉るのだというのです。

徳川は武家の棟梁、将軍家が崇め奉るのは公家、豊臣は武家ではなく、公家ということにしてしまおう、公家ならば、城だの武力だの持つべきではない、というのです。

上手く事を運ぶためには、寧々(和久井映見さん)に間に立ってもらおうと家康は考えました。

二条城への招き

寧々は秀頼と茶々にそのことを告げました。

茶々は、つまり天下は返さない、正々堂々戦もしない、頭をなでてやるから大人しくしていろ、ということか、と怒りを顕にします。

大野治長(玉山鉄二さん)は、家康のことを「薄汚い盗人よ」と嘲ります。

千姫は、祖父と父に代わり、豊臣の人々の前で頭を下げ謝罪します。

寧々は、今、天下を治めているのは徳川。

豊臣は徳川の庇護のもとにいることを忘れてはならない、と諭すのです。

出ていけば、何をされるかわからない、と治長が危惧していると、加藤清正が進み出てきました。

出ないならば心が弱い君だと思われるかもしれない、自分が命に代えて秀頼を守る、と宣言。

しばらく考えた秀頼は、茶々を見て頷きました。

「そろそろ世にお披露目するかの、其方を」と茶々は言ったのです。

慶長16年3月28日、豊臣秀頼は大阪城に移って初めてその姿を民の前に現しました。

二条城にて秀頼を迎えた徳川家臣団。

その人気の凄まじさに驚きます。

出迎えた家康に、秀頼は駆け寄り、親し気に話しかけました。

家康も恭しく丁重に秀頼を上座へと案内しようとします。

しかし秀頼は、「大御所様は我が妻のおじじ様、なぜ我が先に参れましょう」と家康を立てるのです。

待っていた寧々は、秀頼を上段に促しますが、秀頼はそれを受け入れません。

家康は、「豊臣は関白に任ぜられた高貴な家。武家の棟梁である徳川は及びません、上段に座られるのはしきたりというもの、さあ」と促します。

しかしそれでも動かない秀頼。

寧々は2人で上段に座ればよい、というのですが、家康は拒否。

すると秀頼は家康の手を取り、意地を張るのは良くない、横並びにしましょう、と2人で上段に座ろうと促したのです。

家康の手を取り、上段に座らせた秀頼は、徐に立ち上がると、下段に着座。

「大御所様、長らくの無沙汰、大変ご無礼致しました。秀頼、心からお詫び申し上げます。なにとぞお許しくださいますようお願い申し上げまする」と頭を下げたのです。

「武家として、徳川殿と手を携えて、共に世を支えて参りましょう」と言いきりました。

秀頼という人

その知らせを受けた秀忠は喜びます。

「これで徳川が上、豊臣が下とはっきりと世に示すことができた、良かった」と喜んだのです。

しかし、江(マイコさん)は良かったのでしょうか、と不安を感じます。

正信は、「えらいことじゃ」と頭を抱えました。

その噂は瞬く間に世に広がり、秀頼を跪かせるとは徳川は何様か、天下の主は秀頼だ、と世論は大阪に傾き、牢人たちは大阪に集おうとします。

秀頼は慇懃、徳川は無礼、秀頼はご立派、徳川は恥知らず、そう噂が流れ、徳川に良くない流れができてしまいました。

阿茶は、秀頼とはどんな人に見えるかと家康に問いかけます。

家康から見た秀頼は「涼やかで様子がいい、秀吉だ」と断じたのです。

深夜、眠れなくなった秀忠は、かつて家康に言われた言葉や征夷大将軍に任じられた時のこと、そして正信に凡庸と言われたことを思い出していました。

江は、眠れずに苦しむ秀忠を案じます。

準備

慶長17年、三浦按針が呼ばれ、見慣れぬ機械を託されました。

それは時計。

按針により時計は動き出し、時を刻み始めたのです。

このために呼び出したのではないだろう、という按針に、家康は大筒を用意して欲しいと頼みました。

あれは恐ろしい道具、としり込みする按針。

家康は大筒は戦を防ぐためのもの、大いなる力を見せつければ、攻めてくる者もいないだろう、と頼んだのでした。

家康は時計を見ながら、三成の最期の言葉を思い出していました。

「戦無き世など成せぬ、まやかしの夢を語るな」と言った三成。

家康のもとに、今川氏真(溝端淳平さん)がやってきました。

時計の仕組みが知りたいと眺めていた家康に、幼い頃からそういうことが好きだったな、と氏真は言います。

あの頃の家康を知っているのは、今は氏真しかいなくなっていました。

今川氏真は没落後、家康の庇護のもと、妻と悠々自適に暮らしていました。

家康はのんびりと暮らす氏真に、「羨ましい限りじゃ」と言います。

そう目を伏せた家康に氏真は、自分はかつて家康にまだ降りるな、と言った、と言い始めました。

「だがまさか、これほどまで長く降りられぬことになろうとはな、だが、後少しじゃろう、戦無き世を作り、我が父の目指した王道の治世、お主が成してくれ」というのです。

「儂には無理かもしれん」という家康。

「何を言うか、お主は見違えるほど成長した、立派になった」という氏真の言葉を否定する家康。

「成長などしておらん、平気で人を殺せるようになっただけじゃ、戦無き世など来ると思うか、1つ戦が終わっても、新たな戦を求める、集まる者がいる、戦は無くならん、儂の生涯、ずっと死ぬまで、死ぬまで、死ぬまで戦をし続けて…」そう言って涙を流す家康。

氏真はそんな家康を確りと抱き留めると、「家康よ、弟よ、弱音を吐きたいときはこの兄が全て聞いてやる、そのために来た、お主に助けられた命もあることを忘れるな、本当のお主に戻れる日もきっとくる」と手を握り、家康を励ましたのです。

深く息を吐き出した家康。

涙を零し、時を刻み続ける時計を見ていました。

開眼供養

慶長19年・京にて、二条城の会見以降、秀頼の活躍は目覚まく、豊臣の威光を復活させる大事業を行おうとしていました。

方広寺の大仏の再建は秀吉の悲願でありました。

その17回忌に開眼供養ができることは、秀吉も喜ぶに違いない、と秀頼は言います。

清正は、諸国の大名、公家、商人に至るまで、上下の区別なく招く、もちろん家康も、と言います。

「これからますます輝きを増す旭日の若君と齢70を超える老木、時が否応なく勝負をつけるだろう」と治長は言います。

「老木さえ朽ち果てれば後に残るは凡庸なる二代目、比べるべくもない」と治長は鼻で笑うのです。

秀忠は、二条城の開眼供養は取りやめるよう家康や正信に訴えますが、ただ大仏を作っているだけだから、迂闊に動けば、かえって徳川の評判を落とす、と諭されてしまいます。

自信をもって堂々としていた方がいい、と阿茶に励まされ、正純からも、諸国の大名とは秀忠に従うよう誓詞を交わしている、と言われます。

しかし秀忠は、そんなものが何の役に立つ、と声を荒げたのです。

秀忠は世間で流行りの歌を知っているか、と言います。

「御所柿は独り熟して落ちにけり、木の下に居て拾う秀頼」

正信はその歌を丁寧に解説し、正純は何と無礼な、と憤ります。

秀忠は、この歌の中に自分は出てこない、取るに足らぬものと思われているのだ、父が死んでしまったら自分と秀頼の戦いになったら、自分は負ける、負ける自信がある、というのです。

秀頼は織田と豊臣の血を引く者、自分は凡庸なるもの、家康の偉大なる才を受け継いでいない、父がいついなくなるかと思うと夜も眠れない、と訴えたのです。

家康は、秀忠は自分の才をよく受け継いでいる、と言います。

家康の弱いところ、そしてそれを素直に認められるところだといいます。

自分もかつてはそうだった、しかし、戦乱の世の中で、それを捨てざるを得なかった、その弱いところを持っていた頃の方が皆に慕われ、幸せであった気がする、自分は秀忠が眩しい、それを大事にしろ、と諭します。

「秀忠、良いか、戦を求める者たちに天下を渡すな、王道と覇道とは」

「徳を持って治めるは王道、武を持って治めるを覇道、覇道は王道に及ばぬもの」そう答えた秀忠に、「其方こそがそれを成すものと信じている」と家康は秀忠の肩を叩きます。

「儂の志を、受け継いでくれ」と頼んだのでした。

秀忠は涙を流しながら、深々と頭を下げ、退出しました。

秀頼と大野治長の手合わせで、秀頼は凄まじい強さを見せました。

「手加減してはおらぬだろうな」と睨む茶々に、治長は「残念ながら、槍も囲碁ももう敵いません。真、逸材をお育てになられましたな。今は亡き乱世の名将たちを思わせまする」と秀頼の成長に感心します。

茶々は、柿が落ちるのをただ待つのは惜しい、戦って勝ってこそ、真の天下だろう、というのです。

そこに、鐘の銘についての相談がありました。

それを見た茶々は、「面白い、面白いのう」とにやりと笑ったのです。

鐘が出来上がり、その報告が家康のもとに挙げられました。

そこには「国家安康」「君臣豊楽」とあったのです。

家康の名を2つに分け、豊臣こそが天下の主だと書いてあったのです。

江戸から知恵者たちを連れて来た正信。

とんでもない一手を打たれたようで、上手に少しずつ力を削ぐ、ということはもはやできない、恐らく避けられません、という正信。

「とうとう戦か…」と家康は深いため息をついたのでした。

次回、第46回「大阪の陣」

豊臣家復活を願う方広寺の鐘に、家康(松本潤)を呪う言葉が刻まれたという。家康は茶々(北川景子)が徳川に従い、人質として江戸に来ることを要求。激怒した大野治長(玉山鉄二)は、両家の仲介役・片桐且元(川島潤哉)の暗殺を計画。家康はついに14年ぶりの大戦に踏み切る。

全国大名に呼びかけ、30万の大軍で大阪城を包囲、三浦按針(村雨辰剛)用意させたイギリス製大筒を配備。そんな徳川の前に真田丸が立ちはだかる

NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト

とうとう大阪の陣が始まってしまいます。

戦無き世を作るために奮闘してきた家康ですが、豊臣の挑発を凌ぐことはできず、それでも穏便に事を済ませられるように努力するのですが…。

欲しい物は力で奪い取る、と豪語していた茶々ですから、この展開は喜んでいるのでしょうね。

次回、第46回「大阪の陣」、家康最期の大戦の始まりです。

最後に

秀頼の食えなさに驚いた回でしたね。

大阪城にこもりきりかと思っていたら、すっかり大きくなって、頼もしさが増してきていました。

二条城での会見のシーンは、秀頼の爽やかさと慇懃さにやられてしまいました。

親し気に家康に話しかけ、家康の手を取り上座まで連れて行く秀頼。

家康は一生懸命、徳川は武家の棟梁、秀頼は公家、と主張するのですが、家康も寄る年波には敵わず、秀頼に優しく話しかけられては、その主張を尊重するしかありません。

そこをうまくやられてしまいましたね。

成長するまで力を隠し、優しく親し気に振舞う秀頼、その知略に、脱帽です。

老いてすぐに動けない家康を上座に座らせて、その隙に自分は下段に着座し、口上を述べる。

凄い策略ですよね。

嫌味なく、自然にやってしまう秀頼の恐ろしさを感じました。

家康はずいぶん年を取りましたね。

あの特殊メイクは素晴らしい。

シミもしわも全部メイクで作られているなんて思えないほど精巧に映っていました。

背中を丸めてゆっくりと動く姿、昔のことを考え、ぼんやりとする家康、そのすべての動作が、家康も年老いたのだな、と感じてしまいました。

若い人が老人のまねをしようというのは難しいでしょうに、どの動作も不自然さを感じさせない動きでした。

さすがですね。

今回は、正信の嫡男・正純が頑張っていましたね。

でもやはり、鋭いのは父・正信。

真面目なだけでは乱世を生きられなかったのだろうと、正信を見ていると思いますね。

相変わらず人を食ったような言い回しがとても面白く、見ていて飽きないです。

そしてやはり、強烈なインパクトを与えてくれたのは、茶々ですよね。

にこやかに笑顔を作っているのに、全く笑っていないキツイ表情。

笑顔で千姫を追い詰めていく様子は恐ろしく感じました。

お市の方の時では絶対に見られなかった、恐ろしくて強くて力強い表情の数々に見惚れてしまいました。

さて、次回、第46回「大阪の陣」では、とうとう直接対決が行われるようですね。

牢人となった真田信繁が大阪に入り、またもや家康たちを苦しめます。

戦無き世を作りたいのは皆同じのはずなのに、どうして戦を求めてしまうのでしょうか。

次回、第46回「大阪の陣」見逃せませんね。

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