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どうする家康 第33回「裏切り者」のあらすじと感想

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嵐の松本潤さん主演の2023年大河ドラマ「どうする家康」。

脚本は、稀代のストーリーテラー・古沢良太さんです。

毎週日曜BSプレミアム午後6時~、NHK総合午後8時~放送されます。

徳川家康の生涯を新たな視点で描く、スピード感溢れる波乱万丈の戦国エンターテインメント。

こちらでは、大河ドラマ「どうする家康」のあらすじ、ネタバレ、感想をお届けします。

さて、第33回「裏切り者」では、激闘を制した後のことが描かれます。

小牧長久手の戦いを制した家康に対し、秀吉は戦闘以外の事柄で攻めていきます。

総大将だった信雄の裏切り、そして家康陣営の重鎮の出奔。

第33回「裏切り者」、徳川を去ろうと思い至った石川数正の真意はどこにあるのでしょうか。

目次

前回のあらすじ

天正12年(1584年)3月、徳川家康(松本潤さん)と羽柴秀吉(ムロツヨシさん)の戦いの火蓋が切って落とされました。

家康はかつて信長が築いた小牧城を堅牢な要塞に作り変えて秀吉勢を待ち構えていました。

秀吉の大軍勢と睨み合うこと数日、膠着した状況を動かすために、徳川勢は秀吉の悪口を書いた板をあちこちに立て、秀吉軍を煽ります。

動きそうな気配を見せた秀吉軍が狙うならどこを狙うか、家康は本多正信(松山ケンイチさん)に問いました。

正信の答えは岡崎。

家康は、榊原康政(杉野遥亮さん)に命じて、城の周りに張り巡らせている堀の一部を変更させました。

その頃、秀吉陣営では、池田勝入(徳重聡さん)が岡崎を攻める「中入り」という作戦を献策しました。

秀吉はそれを了承し、甥の羽柴秀次を総大将とする3万の軍勢を岡崎へと向かわせたのです。

正信の読み通り、岡崎へと動き出した軍勢を確認した徳川軍は、改修した堀から秀吉や中入り勢に気づかれないように出陣、背後を突きました。

徳川四天王、榊原康政、井伊直政(板垣李光人さん)らの猛攻により、池田勝入、森長可を討ち取り、羽柴秀次も敗走。

加勢に出ようとした秀吉本軍も本多忠勝(山田裕貴さん)らの活躍で救援に向かえず、小牧長久手の戦いは徳川軍の大勝となりました。

皆が戦の勝利を喜ぶ中、ただ一人石川数正(松重豊さん)だけは、秀吉の強さを恐れ、この先の不安を家康に進言するのでした。

前回、第32回「小牧長久手の激闘」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは、第33回「裏切り者」のあらすじと感想です。

秀吉の作戦

天下の覇権をめぐって羽柴秀吉との戦いを制した家康。

ですが、秀吉は家康には勝てなくてもこの戦いには勝てる、と標的を織田信雄に変更。

その家臣を次々に調略し、信雄の領国を執拗に攻撃、それに耐えきれなくなった信雄は、あっけなく秀吉方に寝返ったのです。

秀長(佐藤隆太さん)は、戦はおしまい、配下の家康も直ちにここに来た方がいい、と信雄に言い含めます。

秀吉は、人質も連れて来た方がいい、いや、人質とは聞こえ悪い、家康の子を養子に迎える、と言ったのです。

そうでなければ、滅ぼしてしまうかも、と脅しをかけました。

その知らせは徳川陣営にも届けられました。

長久手の戦に勝利したのは徳川なのに、勝手なことを、と皆憤ります。

北条と手を組めばまだまだ戦える、と井伊直政は言いますが、総大将の信雄が秀吉と手を組んだのなら、徳川は大義を失い、このまま戦を続けることはできなくなります。

こうなっては、和睦するしか道はありません。

石川数正は、家康自身が赴いてはならない、養子の話も断りましょう、と名代を名乗り出ました。

家康は、仮初の和睦、秀吉に屈することは断じてない、と言い放ちました。

秀吉との談判を終えた数正は岡崎に戻りました。

「満足な結果が得られず申し訳ございません」と家康に頭を下げたのです。

家康は、数正ほど談判に長けた者はいない、頭を上げよ、と言います。

数正は、秀吉にこんなものまで押し付けられました、と箱に入った金の粒を家康に見せます。

これは凄い、と本多正信は飛びつきますが、数正にその手を叩かれてしまいます。

「こんな堅物を金で釣ろうとはな、我が徳川家中の絆の強さを知らんのだ」と忠次は笑い飛ばしました。

人質を誰にするか、と正信は言います。

長丸も福松もまだ幼く、徳川の跡取りとなる子供たちです。

酒井忠次は城を出たお万の子に白羽の矢を立て、迷っている家康に進言しました。

お万(松井玲奈さん)は、その話を快諾しました。

家康にとって、自分とのことは無用の出来事だったかもしれない、しかし、いずれきっと子が家康のためになると思って、これまで育ててきた、無用のことなど、この世に1つもないのだ、とお万は言ったのです。

お万の子・於義伊の側近として、石川数正の子・勝千代が付くことになりました。

取り決めを交わしたのは数正、その務めを我が家が負うのは当たり前、と妻・鍋(木村多江さん)は言うのでした。

更なる追い打ち

天正13年(1585年)5月、信州の真田昌幸(佐藤浩市さん)のところに、羽柴秀長がやってきました。

真田昌幸は、かつて家康が北条と戦った折、勝手に真田の領地・沼田を北条に渡したことを根に持っていました。

秀長は、手伝うことがあれば何なりと、天下の揉め事を鎮めるのは我が兄の務め、と真田を支えることを約束したのです。

天正13年7月、驚くことが起きました。

羽柴秀吉が関白に就任したのです。

徳川家臣団は驚愕しました。

秀吉は、これで名実ともに織田信長を越えたことになりました。

それにより、また数正が大阪に挨拶に行くというのです。

榊原康政、井伊直政や本多忠勝は、数正が交渉に行くことに不安を覚えていました。

大阪に行った数正は徳川の不利になることばかりを持ち帰ってきているというのです。

秀吉に金品を貰っているのではと疑いの目がかけられていました。

大阪に挨拶に行った数正に、秀吉は「其方は我が家臣じゃ、我が右腕として働け」と大阪に屋敷を与えるから大阪に移り住むようにと命じます。

数正は自分の主は徳川三河の守であると断ります。

しかし秀吉は「余は関白である、関白とは天子様の代わり、即ち日の本全土の大名がわが臣下と同様である。むろん、家康も我が命に従わなければならん」と言います。

数正は、家康は和睦したのみ、臣下の礼は取っていない、と反論します。

そんな数正に、聞き分けのないことを言うのではない、もう一戦やるか?と秀吉は脅します。

秀長:「今や関白様の軍勢の強大さ、いかなるものかお判りであろう」

数正:「されど東国は未だ関白殿の力及ばず、我ら徳川と関東・北条がしかと手を結んでおりますれば、関白殿の軍勢といえども、決して負けはせぬと存じます」

秀吉:「北条…。だが、北条とは領地の件でいざこざがある、と聞いたような…」

秀長:「徳川殿が北条に渡した領地に、真田が居座って動かんのだわ」

秀吉:「真田…、昌幸か、あいつは面倒だでの」

秀長:「真田は小さい、徳川殿ならば力ずくでどかすこともできましょう、が、もし誰かがこっそり裏から手を回して真田を助けたら、どうなってまうかじゃ」

秀吉「真田ごときに負けたら、徳川はえれえこったね、家康は直ちに来て余に跪くべし、そして、人質をもう一人差し出すべし、長丸か福松じゃ。さもなくば、三河も遠江も焼け野原と考えよ」

それを止めたのは秀吉の正室・寧々(和久井映見さん)でした。

寧々の取り成しによりその場は収まりました。

寧々は見事な櫛を数正に差し出し、「奥方へ」と渡します。

秀長は「お互い、そろそろ重たい具足を脱ぐ時では」と言い、秀吉も数正に、いつでも自分の所にくるように、とりあえず、真田には気をつけろ、と言い放ったのでした。

数正は足取り重く、徳川へ戻りました。

しかし、その年の夏、真田は徳川を離反。

上田合戦が勃発しました。

武田信玄・勝頼に仕え、武田滅亡後も絶えず謀略を巡らせながら、その孤塁を守り続けてきたのが真田昌幸とその2人の息子です。

信玄の権謀術数を最も受け継いだのは、この真田親子なのかもしれません。

鳥居元忠(音尾琢真さん)や大久保忠世が真田を攻めましたが、落とせず戻ってきていました。

忠勝は真田に負けるとは情けない、と言い募るのですが、鳥居は、背後に助けている者がいる、と反論します。

全ては秀吉の掌の上、家康の上洛と更なる人質を求めている、と数正は言います。

「秀吉は破竹の勢い、豊臣という姓を名乗るという話もある、四国北国も次々と平定し、国替えを次々に行っております、敵だったものから国を取り上げ、遠方の地へ追いやる。我らもひれ伏せばそうなりましょうな」と正信は言います。

それに家臣団は反発。

忠勝は「三河・岡崎の地を捨てるなどありえん。岡崎決戦じゃ。この岡崎に残り、民百姓が何年も戦い続ける、それのみ」

直政も「同意。その備えは十分にあります」

康政も「籠城ならば2年、いや、3年は耐えられる」

正信は「が、それも秀吉の天下がどれほど持つかにかかってますな。奴が下手を討てば、向こうから崩れてくれるかもしれん」

康政「すぐに下手を打つかもしれん。秀吉が天下の舵取りをなんでもできるとは思えん」

直政「それまで耐え忍び、じわじわと調略を進めれば、さすれば十分に勝機はある」

家臣たちは、岡崎決戦を進言しました。

家康もそれに同意し、岡崎決戦を決意しますが、数正の顔色がさえません。

項垂れる数正に意見を聞いた家康。

数正は、家康に上洛してはどうかと促しました。

どういう意味だと言う家康。

家臣団はそんな数正に反発しました。

数正は自分の意見をぶつけました。

「秀吉は関白なんじゃ、信雄様も既に臣下に入られた。名実ともに織田家を越えたんじゃ。大阪の街はこの世の全ての民を集めて作ったが如く、かの城は安土を越え、我らの城がいくつあっても足りぬ巨大さと美しさ。もはや秀吉の天下は崩れぬ。戦となればこの岡崎が焼け野原となろう」と主張します。

我らは長久手で秀吉の10万の兵に勝った、と忠勝は言いますが、「勝ってはおらん!」と数正は声を荒げました。

「あんな勝利は些細なこと、今の我らと秀吉のありようを見れば、どちらが勝ったのか誰の目にも明らかじゃ」

しかしその言葉に忠勝や直政は反発。

家康は「数正、儂は秀吉に及ばぬか、秀吉に劣ると申すか」と問い質します。

「みっともない訛りをわざと使い、無様な猿を演じ、人心の懐に飛び込んで人心を操る、欲しいものを得るためには手立てを選ばず、関白までも手に入れた。あれは化け物じゃ、殿は化け物には敵いませぬ、秀吉の臣下に入るべきと存じます」と数正は頭を下げました。

しかし家康は激高し、岡崎決戦をすると宣言。

数正が岡崎城代として拒否すると、ならば岡崎城代の任を解く、と言い放ったのです。

数正は無言で立ち去りました。

決意

家に戻った数正のもとに、忠次が訪ねてきました。

数正が調略されるような人物ではないと忠次はわかっている、全ては家康と皆のことを思ってのことだと、しかし、家康が秀吉の臣下に下れば、これまで苦労して手に入れた国が全て無くなってしまうだろうと、忠次は言うのです。

「国?国なんてものは無くなるかもしれんぞ」と数正は言います。

「世は変わろうとしている、大阪に行けばよくわかる、秀吉が天下を一統するということは、日の本全てが秀吉の物になるということだ。三河であろうと遠江であろうと我らの国であって我らの国でない。そういう世になる」

忠次は「国を失うことは誰も受け入れん、少なくとも、殿がご決断をすれば、徳川は終わる」数正は、それを説得するのも殿の役目だ、と言うのです。

「国を守らぬ大名は生きてはいけぬ」という忠次に「それだけが理由かの」と数正は向き直りました。

忠次は「数正、そなたには見えているものがあるのだろう、殿と話せ」と促したのです。

家康のもとに行った数正。

家康は、幼い頃数正が苦手だったと打ち明けます。

「いつも叱られてばかりおった、そのおかげで今がある、そなたが儂をここまで連れてきてくれたんじゃ、そなたの言い分はわかっておるつもりじゃ、だが儂はこうするほかないんじゃ、勝つ手立ては必ずやある、そなたがいれば、そなたがいなければできぬ、数正」

家康は必死に数正を説得しました。

「大高城の兵糧入れがついこの間のことのようでござる。数えきれぬ程の戦をしてまいりました。実に多くの仲間を失いました。今も夢によう見ます。あの顔や、あの顔や、あの顔。

あの、弱く優しかった殿が、かほどに強く勇ましくなられるとは、さぞや…、さぞやお苦しいことでございましょう」と数正は家康の苦労を慮ります。

「苦しいことなどあるものか、儂は、戦無き世を作る、この世を浄土にする、そう心に決めてきた。苦しくなどない」と家康は返します。

数正:「そう、お誓いなさったのですね。亡きお人に」

「王道を持って覇道を制す、儂にはできぬと申すか、数正!」と声を上げる家康。

数正は目を逡巡させた後、意を決したように「秀吉にひれ伏すなどと申したら、この国を守るために死んでいった多くの者たちが化けてでましょう。危うく忘れる所でござった。殿を天下人にすることこそ、わが夢であると。覚悟を決め申した。もうひとたび、この老体に鞭打って、大暴れいたしましょう。私はどこまでも殿と一緒でござる、羽柴秀吉何するものぞ、我らの国を守り抜き、我らの殿を天下人にいたしまする」と高らかに宣言したのです。

家康に一礼し背を向けた後、「殿、決してお忘れあるな…。私はどこまでも殿と一緒でござる」と背を向けたまま言うと、立ち去りました。

立ち去る数正を見送る家康の目からは、一筋の涙が零れていました。

その夜、数正は文机に書付を残すと、屋敷を出たのです。

翌朝、数正の屋敷に行った家康に、忠次は言いました。

「石川数正、その妻子、その家臣、出奔致してございます」

数正は大阪で秀吉の前に頭を垂れていました。

秀吉は「今日から其方は我が家臣、新しい名を授ける、我が一字をとって、吉輝。出雲の守・吉輝」

石川出雲の守・吉輝、となった数正は秀吉に臣従を誓ったのでした。

関白殿下

これ天下人なり

数正が残した書付にはそう書いてありました。

次回、第34回「豊臣の花嫁」

打倒・秀吉(ムロツヨシ)を誓ったはずの数正(松重豊)が豊臣方に出奔、徳川家中に衝撃が走る。敵に手の内を知られたも同然となり、家康(松本潤)は追い詰められるが、そこに未曽有の大地震が発生し、両軍戦どころではなくなる。何とか家康を上洛させたい秀吉は、妹の旭(山田真歩)を家康に嫁がせ、さらに老いた母まで人質に差し出す。秀吉に屈服するか、全面対決するかの二択を迫られた家康は…。

NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト

とうとう石川数正が出奔してしまいましたね。

秀吉との全面対決を決意したばかりの徳川陣営は、すぐさま軍制を変えなければなりません。

そこに未曽有の大地震。

どうしても家康を屈服させたい秀吉は、あの手この手で家康調略を企てます。

次回、第34回「豊臣の花嫁」、家康はどのような決断を下すのでしょうか。

最後に

松重豊さん演じる石川数正が出奔してしまいました。

固い絆で結ばれている家臣団の中で、数正1人が孤軍奮闘していました。

高い交渉能力を持つがゆえに、家康の名代として何度も大阪に行き、その繁栄を目にしているからこそ、見えるものがありました。

決死の覚悟でそれを伝えましたが、結束の固い徳川家臣団は耳を貸しませんでしたね。

家康も、秀吉に対する憎しみが深く、これまで慎重に進めていたことができなくなってしまったように感じました。

血気盛んな若手家臣団の煽りもありましたしね。

数正は、高価な賄賂にも甘言にも惑わされず、言うべきことはしっかりと主張してきたというのに、それを知らない若手家臣団は、老いただの調略されただのと噂していました。

数正がそんなことするわけないだろう、とハラハラしながら見てしまいました。

それでも、同じ宿老の酒井忠次は数正を信じていました。

2人の絆の深さも沁みましたね。

2人で語るシーンでは、大阪を見てきた数正と見ていない忠次の理解の差が分かりました。

秀吉と関わり秀吉の手腕を肌で感じている数正と、遠くから成果を知ることしかできない忠次では、認識に大きな差がありました。

それは、数正に反対する若手たちも同じことです。

家臣団の誰かが数正と共に大阪に行っていれば、どうなっていたでしょうか。

家康は数正の主張を聞き入れたのでしょうか。

今となってはわかりませんけれど。

家康と数正の2人のシーンは心に刺さりましたね。

家康は数正の説得を試みますが、数正の心は決まっていたのでしょうか。

秀吉に対する憎しみが深い家康の心を変えることはできないと思ったのでしょうか。

数正は家康の言葉に同意しましたが、その夜、出奔してしまいました。

あの時の松重豊さんの表情に魅入られてしまいました。

悔しいような、諦めたような、悟ったような、家康と秀吉の間で板挟みになった数正の苦しい胸の内を表すような、表現できない苦しい表情から、一転して決意を固めた強い眼差しになりました。

家康を天下人にすると宣言したすぐ後に、いつも共にあると呟き、立ち去りました。

いついかなる時も冷静で、戦局を見極め、時には苦言も呈しましたが、重要な局面では命を懸けることも厭わず、常に前面に出て徳川方の交渉係として敵と対峙してきました。

それゆえ、先のことも見通すことができ、意見することもできるのでしょう。

今回の出奔は、意見の食い違いや孤立が理由のすべてではなく、ずっと秀吉に誘われてきた数正が秀吉のもとに下ることにより、家康や皆を守ろうとする意図があったのでしょうね。

数正の葛藤や苦しみがとてもよく伝わる素晴らしいシーンでした。

詳しくはきっと次回34回「豊臣の花嫁」で描かれるのでしょう。

信頼していた重臣に裏切られた家康の心痛はどれほど苦しいのでしょうか。

思えば、幼い頃から裏切りにより家康一族は苦しめられてきました。

今回の裏切りでどのようになってしまうのでしょうか。

まあ、秀吉が関白になったタイミングで臣従してしまったら、秀吉は高飛車なまま、家康を懐柔しようなどとは思わなくなっていたかもしれませんから、ごねて良かったのかもしれませんけどね。

裏切り者、というタイトルでしたが、織田信雄、石川数正、そして真田昌幸という裏切り者が登場してきました。

佐藤浩市さん演じる真田昌幸、雰囲気ありましたね。

曲者真田の恐ろしさが凄く伝わってきました。

次回は、上田合戦について、詳しく描かれるのでしょうか。

その活躍ぶりが楽しみですね。

徳川にとっては真田の活躍は苦々しいものですけれど。

さて次回、第34回「豊臣の花嫁」では、秀吉が家康を調略するためにあの手この手で攻めてきます。

数正出奔の衝撃も冷めやらぬ中、天災も加わり混乱が生じます。

家康は一体どんな決断を下すのか、見所満載ですね。

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