.嵐の松本潤さん主演の2023年大河ドラマ「どうする家康」。
脚本は、稀代のストーリーテラー・古沢良太さんです。
毎週日曜BSプレミアム午後6時~、NHK総合午後8時~放送されます。
徳川家康の生涯を新たな視点で描く、スピード感溢れる波乱万丈の戦国エンターテインメント。
こちらでは、大河ドラマ「どうする家康」のあらすじ、ネタバレ、感想をお届けします。
さて、第37回「さらば三河家臣団」では、とうとう北条攻めが始まります。
家康は北条の縁者として、秀吉の臣下として苦しい立場に陥ってしまいます。
さらに、住み慣れた三河の地から離れると示唆されて、戸惑います。
三河家臣団は一体どうなってしまうのでしょうか。
前回のあらすじ
夫を戦で亡くし、子を祖父母に預けて浜松に働きに来た於愛(広瀬アリスさん)。
表情を失くし、俯く於愛に、お葉(北香那さん)は嘘でも笑っていなさい、と諭します。
その言葉に従った於愛は、常に笑顔を絶やさず、その大らかさが認められ、家康の側室に選ばれました。
家康に探し人を頼まれた鳥居元忠(音尾琢真さん)と大久保忠世(小手伸也さん)。
しかしなかなか見つかりません。
京の聚楽第では、豊臣秀吉(ムロツヨシさん)が北条を攻めよと命じてきます。
娘が北条に嫁いでいる徳川家康(松本潤さん)は、何とか戦を回避しようと、真田の求めに応じ、本多忠勝(山田裕貴さん)の娘・稲を真田の嫡男のもとに嫁がせようとしています。
しかし忠勝も稲も真田は好きではない、と説得に応じようとしないのです。
その頃、駿府では鳥居元忠が家康の探し人を匿っていたことが発覚。
それを知った忠勝が激怒し、元忠の元に乗り込みました。
元忠と家康の探し人・千代(古川琴音さん)は、於愛のもとに連れてこられました。
千代は武田の忍びとして、徳川領内で暗躍し、家康を苦しめた人物です。
見つかってしまえば断罪されてしまうか、忍び働きをさせられてしまうと元忠は千代を匿っていたと言います。
於愛は、自分が悪いと立ち去ろうとする千代を引き留め、家康が戻るまで待つようにと言い渡したのです。
京から戻った家康は、元忠と千代を呼び出し、自分の命に背くとは言語道断、と一喝します。
元忠は、腹を斬る覚悟だが、千代は助けて欲しいと懇願します。
家康は、元忠の思い違いを正し、千代に幸せになれと元忠と添い遂げるよう命じました。
事の顛末を具に見ていた稲は、千代が真田の手先と駄々をこねる忠勝に、自分が真田を見張る役目をする、と真田に嫁ぐ決意をしたのでした。
その後まもなく、家康を支え続けた於愛が亡くなりました。
真田問題が片付き、北条も上洛すると約束したものの、秀吉は北条を攻めると宣言。
初めから戦を仕掛けるつもりだったと家康は気づきます。
どんどん欲望のままに突き進む秀吉。
強く進言できる者は少なく、周囲には秀吉に阿るものばかり。
病でもう長くないという秀長(佐藤隆太さん)は、秀吉に取り入る危うい者の存在を危惧します。
そこに、亡きお市そっくりの秀吉の側室・茶々(北川景子さん)が現れたのです。
前回、第36回「於愛日記」を見逃した方はこちらをどうぞ。
それでは、第37回「さらば三河家臣団」のあらすじと感想です。
北条を征伐せよ
お市に生き写しのような茶々。
天正17年1589年5月、茶々は秀吉の子を産みました。
生涯初の我が子を得て、喜びの絶頂にある秀吉は勢いそのままに、関東北条攻めを決定したのです。
北条氏直(西山潤さん)は父・氏政(駿河太郎さん)に上洛を進言するのですが、氏政は頷きません。
家康も秀吉に働きかけ、北条征伐を待つように訴えるのですが、織田信雄(浜野謙太さん)らは東国平定が進まないのは家康のせいだと主張します。
北条を攻め滅ぼせば、奥羽の伊達も屈すると言うのです。
北条を成敗した暁には、そのまま北条の地は家康に褒美として渡すと秀吉は言いますが、家康はそれを固辞。
北条には所領安堵させ、4か月で戦を終わらせると宣言するのですが、秀吉は3か月で終わらせるようにと命じるのです。
秀吉の天下統一が刻一刻と迫っていました。
秀吉を止められる者は
家康の正室・旭(山田真歩さん)は病を得て、臥せっていました。
旭は戦が始まると聞き、嘆きます。
見舞いに来た寧々(和久井映見さん)も、秀吉の行いを嘆きます。
秀吉は若君を授かって以来、淀城に入り浸り、寧々の言うことに耳を貸さないというのです。
近頃では、唐を手に入れようなどと嘯いていると言います。
秀長も病に臥せり、秀吉に強く言えるものはもはや家康と旭しかいないと言います。
寧々は2人に「頼みまずぞ」と言うのでした。
駿府に戻った家康は、家臣たちに北条攻めを行うと宣言しました。
仔細は、忠勝と榊原康政(杉野遥亮さん)、井伊直政(板垣李光人さん)に任されました。
皆が前を注目する中、家康は本多正信(松山ケンイチさん)に目配せをし、呼び寄せました。
部屋の前には阿茶(松本若菜さん)が待っていました。
甲斐・武田家の流れを汲み、才覚に秀で、政の手助けをする阿茶の局は、家康の側室の1人です。
本多正信は3か月で北条を滅ぼすのは難しいと言います。
さもなくば、北条は滅ぶ、という家康の言葉に正信は、已むを得んのでは、と答えます。
秀吉は、その所領の全てを家康に渡すと言っています。
徳川5か国に加え、北条6か国、そんな上手い話、あるはずがない、徳川の所領を全て取り上げるつもりなのだろうと推測します。
この戦の責めを徳川に負わせた国替えということだろうと正信は言います。
そうなれば、家康は故郷に戻ることを許されず、そのまま小田原入りを命じられることになるでしょう。
故郷を愛する家臣たちは、この事を知れば大きく動揺するでしょう。
家康は、皆には言えん、と悩みます。
故郷を守るため、多くの犠牲を払って戦い続けてきた家臣たちに、今更、三河の地を取り上げられるかもしれないなどと、家康は言えないと苦悩します。
3か月で戦を終わらせ、何とか、北条の所領を安堵させる、国替えを防ぐにはそれしかない、と家康は言います。
その言葉を聞いた正信は、こっそりと軍議中の大久保忠世を呼び出すと、ある頼みごとをしたのです。
出陣
天正18年2月10日、駿府より徳川勢出陣。
3月1日、都より豊臣秀吉軍が出陣しました。
総勢20万ともいわれる大軍勢が小田原に向け進軍。
家臣一同は大いに奮戦しました。
服部正成(山田孝之さん)も兵を率いて奮戦し、多くの首級を挙げました。
小田原城を完全に包囲するも、北条は頑なに籠城を続け、3か月が過ぎました。
小田原城内では家臣たちの意見が真っ二つに分かれ、意見がまとまりません。
そこに向かいの山に城が現れたと報告が入ったのです。
秀吉が築いた一夜城に北条勢は動揺。
秀吉は小田原から見えないように城を築き、できたところで一斉に木を切って姿を見せたのだと言います。
その姿はまるで一夜にしてできた城、名付けて一夜城です。
家康は武蔵・相模・伊豆の3か国の安堵を条件に、北条に降伏を促してはどうかと進言するのですが、秀吉は聞く耳を持たず、やってきた茶々に夢中です。
家康は尚も北条を助けるべく懇願するのですが、4か月かかったことを理由に、三河、遠江、駿河、甲斐はしかるべき者に任せ、家康は関東に移れと言います。
関東、奥羽はまだまだ従わぬ者が多い、家康にはそちらに専念してもらう、と秀吉は言うのです。
更に、小田原ではなく、家康には江戸に移るようにと命じます。
秀吉は、江戸は街道が交わるところで、東国の要に最も相応しいと断言するのです。
配下の者たちも城持ち大名にしてやれと言います。
忠勝は上総、康政は上野舘林、と言い始めたところ、家康はそれを止め、自分の家中のことに口を挟まないで頂きたい、と抗議します。
するとすかさず茶々が、天下の武家は皆、関白殿下の配下だというのです。
江戸に街を作らせ、財を使わせ、徳川の強みである家臣をばらばらにすることで、徳川の力を削ぐという秀吉の計画です。
家康は怒りに震えました。
北条、降伏
その僅か9日後、ついに北条家当主・氏直が降伏してきました。
7月10日、家康は小田原城に入城しました。
家康に付いて入城した康政は、氏直は助命されると氏政に告げました。
しかし、氏政は戦の責任を取ることが求められています。
氏政は、自ら腹を斬ると宣言しました。
家康は立ち去る氏政に、なぜもっと早く決断しなかったと問いかけます。
夢を見たから、かつて、今川氏真と妹・糸からある企みに誘われたから、と言います。
小さな国と国が繋がり助け合って暮らす、1つになるのだ、と。
馬鹿げた話だと思いつつ、心を奪われた、我らはただ関東の片隅で、侵さず侵されず、我らの民と穏やかに暮らしていたかっただけ、なぜそれが許されないのだろう、と氏政は嘆きます。
世は変わった、と言う家康。
その変わりゆく世に力尽きるまで抗いたかった、と氏政は言います。
氏政は、関東を家康が治めると聞き、我が民をよろしく頼む、と頭を下げたのでした。
小田原合戦、終結。
三成の来訪
家康の陣に石田三成がやってきました。
戦を収めたことに対する労い、そして関東への国替えについて、祝いを言いに来たのです。
国替えに付いて、不満を漏らす家康に、三成は信雄のことを話し始めました。
信雄もまた、国替えを命じられました。
しかしそれに異を唱えたところ、改易処分となったのです。
家康はどうか辛抱して欲しい、と三成は言うのです。
自分は戦無き世にするために殿下に従った、今の殿下のやりかたは、ついていけん、と言う家康。
殿下は聡明な方、もし殿下が間違ったことをしたら、この三成がお止め致します、と三成は宣言しました。
共に力を合わせて参りたい、と言う三成。
家康は複雑な表情で三成を見送りました。
正信は、空を見上げる家康に、江戸からも同じ星空が見えまする、と励ましました。
さらば、三河家臣団
その夜、家康は側近たちを呼び集めました。
家康は、関白殿下の命により、国替えとなったと報告します。
「北条領を賜る代わりに、我らの領国を関白殿下に差し出す。三河も手放す」と伝えたのです。
正信は、一同、各々それぞれの新たな領国に移る、と宣言します。
家康は沈痛な面持ちで、戦の前に皆に伝えなかったのは混乱を避けるため、異論は認めん、といいます。
忠勝は「殿、殿!」と何度も呼びかけます。
そして忠勝は「関東もいいところに相違ない」と言うのです。
康政は「殿、我らはとっくに覚悟はできておりまする」
直政は「新たな領国を治めるのもまた、大いにやりがいがあること、腕がなりまする」
元忠は「故郷にはちゃんと別れを告げてきました」と言います。
皆が知っていたことに家康は驚きます。
国を立つ前に、忠世が皆に知らせ、説得したと言うのです。
忠世は、自分はただ正信に頼まれただけ、と笑います。
忠世は、仲間たちの不満を全て受け止め、発散させてくれたのです。
「毎度ながら勝手なことをいたしまして」と謝る正信に家康は「全くじゃ」と返しますが「だが、礼を言う」と感謝を伝えました。
家康は、不満を飲み込んでくれた家臣たちに、このようなことになり済まなかったと頭を下げ、階から降りると膝を付き再度、頭を下げました。
家臣たちは、膝を付いた家康の周りを取り囲み、謝ることはない、また、1から始めればよいだけのこと、この乱世を我らはこうして生き延びた、それで十分、我らは生き延びだんだ、信じられるか、今川、武田も滅び、織田も力を失った乱世を、儂らは生き延びだんだぞ、貧しくて、ちっぽけだった我らが信じられない、しかもあの弱虫の殿のもとで、これ以上何を望みましょうか、と様々な言葉で思いを告げ、殿のおかげでございます、ありがとうございます、と皆が頭を下げたのでした。
家康は「こちらこそじゃ、こんな儂によう付いてきてくれた、よう支えてくれた、皆のおかげじゃ」と深く頭を下げ感謝を伝えたのでした。
正信は皆のために酒を用意してきました。
皆は気持ちを切り替え、先のことを話そうと言い始めます。
家康は正信に命じ、各々の新しい領地を発表しました。
井伊直政は上野箕輪。
信濃と越後の抑え、直政なら上手くやるだろう、しかし、調子に乗って無茶はするな、と家康は告げました。
榊原康政は上野舘林、本多忠勝は上総万喜。
ちぎれ具足を纏っていた康政は大名になりました。
これからも励め、と声を掛けます。
忠勝には、平八郎、主君と認めてもらえると良いのう、と声を掛けます。
鳥居元忠は下総矢作、平岩親吉は上野厩橋。
其方ならきっと領民に慕われよう、と元忠に言う家康。
親吉には離れ離れになっても泣くな、と家康は言います。
そして相模小田原は大久保忠世。
皆が納得する人選です。
自分が三河を追放されている間、自分の妻子の面倒を見てくれたこと、感謝してもしきれん、と正信が感謝を告げます。
家康も「我らがここまでやってこれたのは、儂の知らぬところで、この暴れ馬たちを繋いでおってくれたからじゃ、大久保忠世、小田原を与える」と命じました。
忠世は、残りの命、小田原の安寧に全て捧げる、と宣言したのでした。
家康は江戸。
今はぬかるみだらけだが、今に大阪を凌ぐ街にすると決意を固めていました。
次に集まる時は江戸、と皆が揃ったところで、半蔵が声を挙げました。
半蔵には新たな所領が告げられていなかったのです。
正信は「半蔵は…、呼ばなくても良うございました」と困ったように笑い声をあげ始めました。
家康は半蔵に、自分と共に江戸に行こうと誘います。
服部党も正真正銘の武士として取り立ててもらえますか、という半蔵にもちろん、と答える家康。
おぬしらに何度命を助けてもらったと思っている、と家康は告げたのです。
我ら離れ離れになっても心は1つ、次に集まるのは江戸、と誓い合うのでした。
臥せる秀長のもとに、天下一統がなったという知らせが入りました。
よろめきながら立ち上がった秀長は「とうとう、やりなさったな、兄さま、これ以上の欲はやりなさんなよ」と心配そうにつぶやいたのです。
天正19年8月5日、鶴松が病没。
失意の秀吉は、狂気に満ちた目で、次は何を手に入れようかの、と笑い続けます。
その異様な光景に皆息を飲むのでした。
江戸普請奉行・伊奈忠次は神田山を崩し、日比谷入り江を埋め立てると途方もない計画を打ち立てます。
大変なことですが、街を1から作るのは楽しいものだ、と家康は穏やかな日々を過ごしていましたが、秀吉から書状が届きました。
そこには、朝鮮を従え、明国を取る、と書かれてあったのです。
次回、第38回「唐入り」
天下一統を果たした秀吉(ムロツヨシ)は、次の狙いを国外に求めた。江戸開発に勤しんでいた家康(松本潤)をはじめ、諸大名を肥前名護屋城に集め、唐入りを命じる。朝鮮に渡った加藤清正たちから連戦連勝という知らせが届き、秀吉はご満悦だが、家康は苦戦を強いられているという裏情報をつかむ。家康は石田三成(中村七之助)と共に渡海しようとする秀吉を必死に止めようとする。そんな時、家康の前に茶々(北川景子)が現れる。
NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト
とうとう唐入りが始まってしまいました。
我が子を亡くし、気持ちのやり場を失くした秀吉は戦で気を紛らわせようとしているのでしょうか。
連戦連勝という偽りの知らせを喜ぶ秀吉。
何の思惑があるのか、家康を恨んでいるはずの茶々が家康に近づこうとしています。
次回、第38回「唐入り」、天下一統がなった日ノ本は一体どこに進んでいくのでしょうか。
最後に
三河家臣団の絆の強さに感動しました。
皆の不満を解消させるように、全ての不満と鬱憤を受け止めた小手伸也さん演じる大久保忠世、男前でした。
また、他の家臣とは一線を画していたような松山ケンイチさん演じる本多正信が、家臣たちのため、家康のために忠世に頼んだことに感動しました。
なんだかんだ言って、正信も三河家臣団ですものね。
北条氏政の矜持と夢にも涙腺が緩んでしまいましたね。
かつて、瀬名が思い描いた世を作るため、その夢を実現するために、氏政は抗っていたんですね。
北条の地に、瀬名の夢が受け継がれていること、震えました。
瀬名が蒔いた種は、こうして少しずつみんなの中に芽吹いていき、そしてそれを家康が実現させるのですね。
戦無き世を作る人物として、家康が託した秀吉は、どんどん狂気の人となっていくようです。
戦のない世が来たらどうやって武士を民を豊かにするのだ、と言っていた秀吉。
嫡男・鶴松の死で歯止めを失った秀吉は、とうとう朝鮮にまで手を伸ばし始めます。
ストッパーとなる弟・秀長も妹・旭も亡くなり、秀吉が間違ったことをしたら自分が止めると宣言した石田三成も、秀吉の放つ狂気に気後れしたようでした。
このまま秀吉は突っ走っていくのでしょうか。
誰も止められないのでしょうか。
さて、次回、第38回「唐入り」、狂気に満ちた秀吉を止めることはできるのか、また、茶々の思惑は一体何なのか、気になりますね。